2018/9/4 六日目の記録【波止場のWS】

波止場のワークショップ六日目の記録です。
午前中に、前回、座・高円寺でワークショップをしてくださった能楽師の鵜澤光による2回目のクラスを行いました。午後は松島誠さんによる身体ワークショップを行い、また新たな視点で身体を観察しました。

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9月4日
AM10:00~、2Fスタジオで午前のワーク開始
【鵜澤光さんWS】
・面には「よい角度」というものがある。例えば月を見上げる、下の池を覗く首をかしげるなど、顔を傾けるシーンでは、角度のリミットを超えると、能の面は変な顔のおかめさんになってしまう。
面の後ろにはそれぞれの顔に合うように調整するための詰め物「アテ」がある。(昔は、役者の方が面にあわせていた)

・面は、黒目の穴しかない。だから、後ろに何もないと、とても空虚に見える。

・能楽師が面をつけるとき、「自分が面に入っていく」ようにつけてはいけない。自分の身体をちゃんとして、そこに面をつける動作をする。あくまで面に同化するものではなく、「私と面」にはある程度の距離感があるもの。装着しても、顔を完全に覆うではなく、顎をだしてあげる。
よく、面を被ると、「憑依する」「何かに成り代わる」というが、それは能の本質ではない。(ただし、これは能楽師全体の解釈というよりは、鵜沢さんの所属する団体の総意と言った方が正しい)

・面は、リハーサルはつけられない。こういう決まりはアジアでは結構あり、たとえばインドでも、お祭りで派手なメイクアップをするが、リハーサルなどでは一切やらない。
(ちなみに、リハーサルで衣装や面をつけずにやるのは、身体は軽く視界は開けているはずなのに、とてもとても辛い。)

・闇の中感覚だけで身体を確認すると、毎日自分の身体が違うことがわかる。身体は毎日違う。

・仮面をつけるとき、普段は鏡の前でつける。どんな会場でも、必ず簡易的にだとしても鏡の間をつくる。

・能の仮面はとても重要。触る部分、つけ方、外し方、きっちり決められているし、つける時は面に向かって挨拶もする。だけど、例えばバリ島のお祭りとは違って、あくまで仮面は「使う物」であり、道具。確かに神聖かもしれないが、ここに神様が宿っているとは私たちは考えない。あくまで、私たちの使う物である。

・重心がどっちにいっているかが、とても大切。これをしっかりしておかないと、視界のない中でぐらぐらとしてしまう。

・面をつけると、面をつけていることにものすごいエネルギーをつかう。だけど、つけないで稽古をする方が、よっぽど大変であったりするのだ。たしかに、視界が狭いとか衣装が重いとか負荷はあるけれど、メンタルから見るとつけていない方がとても辛い。
●面をつけてみる。
つけてみて、何が違うのかを、感じてみる。
面をつけて歩いて、「さしこみ」をやってみる。それぞれの感想。
・ランジェンフェ
身体をつくってからつけると、やはりなにか儀式的なものを感じる。
先生が教えてくれたこと、いざつけてみると忘れてしまう。
まっすぐ立てているか、歩けているか、自分の首がどうなっているのか、闇の中で自分の感覚で確認することはとても難しい。身体のある感覚が捨てられて、ある感覚はとても敏感になる。とても集中する。
能の面をはずした時、身体がとても緊張しているのを感じた。
・ヤグニャ
最初のバージョン:自分の顔を乗せた時、まあまあうまく乗せられたと思った。だけど、自分の身体をつくってからつけると、呼吸がすっとなって、なにか儀式的な雰囲気を感じ、心がとても集中した。
目が一つになった感覚、目的地に行こうとしても全く見えない。どうしてあんなにゆっくりなのかが分かった気がした。
・ウェイウェイ(中国の伝統舞踊経験者)
前にすごく集中できる。この前の練習するときには、ステップは2回、4回、と細かく決められていることは、やはり、目が見えないからきっちり動きを決める必要があるのかなと思いました。
面は、とても正装である気がした。やはり、仮面をつけた瞬間、日常からは離れた特別な、儀式的な身体になるのを感じました。
この面の鼻が、ウルトラマンのマスクとちがって、立体でとても前にあるし、面からみる視界はとても遠くを観ている感覚があったので、面を外したあと裸眼でいる感覚がとてもかわった。面をつけると距離感がつく。
こういう面をつけたあとに、自分なりに、役の感じ方も違うようになっていく。どうやって、面のあとの私と面の後の関係をつくっているの。中国の舞踊はメイクアップするけれど、裸眼でみんなと話している。やはり面をつけると、視界が絞られるから距離感がでて、遠くを見ている感覚になる。面をつけている私と面を外した私の感覚が全く違って、やはり面をつけると役になる気持ちがする。どうやって、そのギャップを埋めていますか?面と私の関係、距離感をつくっていますか?
→役と自分の距離をつくるための面。もうひとつ作業を増やすことになるかもしれないが、別に私という人間を変える必要などない。役の根っことか、私の根っこ、その根っこを共有することが重要。
いまの質問は、現代演劇の立場から質問しましたが、確かに古典の立場から聞くと、先生の話はとても理解できる気がする。
・ヴィヴィアン
・小林玉季
・ガオレイ
・宇井
(時間の関係で感想のフィードバックはなし)
●信さんからインフォメーション
・能のクラスについて
今回、能のクラスが二つあるのには、ひとつは鵜沢さんのようなキャラクターが能の世界にいるということを知ってほしかったからである。能には、女性がやることへの抵抗がない。
そして鵜澤さんは、能への理解をもちろんしっかりと持ちながら、古いものへの挑戦を続けている。その姿勢を感じて、能というものへのイメージをもっとオープンなものとして持って貰いたかった。
能のクラスに限らず、このWSはとても短い期間であり、開かれるクラスは「できるため」の訓練ではない。
「できないことを知る」ということが非常に大切。
その為には、考えて、自分流に工夫をするということが重要。それをしないと、できないことを通じて本質的なものを掴めない。
関心がなければ、それはすぐにやめたほうがいい。やめたほうがいいというのは、パフォーマンスを止めた方がいいという事である。自分のできないパフォーマンスに対する興味や意欲のない人は、表現者に向いていない。これは他人が決めることではなくて、あくまで自分が表現者に向いているか否かを知るとてもシンプルで1番の方法。
特別に好きなものだけを突き詰めるのは、あくまで、その分野のアマチュアなのである。

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ー午後のワーク開始
【松島誠さんWSクラス】
このクラスでは、実践とディスカッションを交えて「試しながら話す、話ながら試す」
talk&tryで進行していく。
●まずは「知覚の発見」
身体のコアを感じる+アップ(柔軟)
「バナナロール」
1,うつぶせに寝転がって仰向けにお腹(コア)を使って直る。身体はバナナの形でなるべく身体の先(腕と足)をひっぱりあう。
2.アジのひらきみたく身体を半分にたたむイメージをもって、仰向けのところからうつ伏せにひっくり返る動きを、転がってやらないようにコアを使って直る。1.の時よりも、もっともっと身体を引っ張り合うイメージを持つ。
単純な動きだけれど、コアを使うエクササイズなので、終わった後は身体はそれなりに温まる。脱力もできるので、はじまる前エンジンをかられる身体を準備しておくのにとてもいい。
終わった後は肩甲骨から手が動きやすくなっているので、身体を伸ばす、長くするのがやりやすくなる。
●身体の表面
1.手をこすってみる。こすっている方の手と、こすられている方の手の感覚の違いを観察してみる。その手で身体のまわりの空気を掻いてみる。移動しながら、人とすれ違ってみる。人の間を抜けながら、顔や首やおなかやふくらはぎなど、自分の身体を触ってみる。
2.自分の身体の表面をなぞってみながら、その延長線上で手のなぞりを空間にあそばせてあげる。また身体に戻って、どんどん流れの動きを変えてゆく。
3.部屋のセンターを必ず通るのを忘れず、部屋中をゆっくりと歩く。歩きながら、自分の身体の表面を感じてみる。
●対面
相手と向かいあう。
1. まず、自分は頭と背骨しかない生き物である。背骨だけをつかって、向かい合っている人と対話してみる。相手の背骨に集中して、それに応える。
2. コピー。どちらかの動きをどちらかが真似をする。
3. 今度は、自分は足だけで会話をしてみる。→下半身だけの会話でも、動かすには身体全体を意外にも使っている。
●FUNKTIONEN
(ドイツ語)
ファンクション、つまり「機能」。パフォーマーとしての機能、これは数多くある。
その中から、主に5つのファンクションを選ぶと
①「素材」 ②「観察」 ③「翻訳」 ④「仲介」 ⑤「操作」
今日はその中から、②「観察」をやってみる。
「観察というものにはなにがある?」
・アリをみている・喫茶店で店内を眺める・空気を観察する。・自分を触って身体を観察する。
観察するというものには、時として五感以上のものが使われる。見えないものを観ようとする。
大事なことは「何をどのように観察するのか」をクリアにすること。見えないものを、身体化する。「観察していることをパフォーマーとしてみせる」。
まず「何をどのようにするか」を明確にして、動いてみる。
・一つの要素を観察するでも、次々と観察する対象がかわるでも、何か大きなものでもいい。パフォーマーは、どこからか入ってきてもいいし、板付きでもいい。
設定はフィクションでもノンフィクションでもかまわない。
けれど、リアリティーを常に持っていなければならない。
そして、空間のどこにいるかということも非常に重要で、身体の感覚は自己完結しない。
動くことも大切だけれど、例えば動かないということがとても強い力を持つこともある。
ダンスでも、ただ何もしない、というのは最も難しい動きのひとつ。けれど、例えばそこで「なにかを観察」すれば、何かの糸口がみつかる。たとえじっとしていても、その身体には説得力がり、とてもアクティブなものになる。
ー動いた後、お互いにフィードバックを行う。
<試してみて、何を観察しましたか?>
「風を観察した。出られない部屋の中というフィクションを自分の中で意識しつつ」
「この部屋の中の、音の場所を観察した」
「床のテクスチャー」
「お客さんが見ているときの身体」
「カップがくるくるを回ることを想像して、観察した」
<コメント>
1つ目グループ
「観察しているというよりは、見ているようだと思った」実際にみているのはわかるけれども、身体に実感がなく説得力がないようにみえた。本当のことがリアルであるとは限らないのでは。
2つ目
「全員が一つの集合体のように見えた。みんながオブジェ作品のようだと思えた。」
「ストーリーをみている側が勝手に考えられた。」これはパフォーマーのもっているリアリティーが、観ている側にストーリーを想起させたのかもしれない。
「空間の関係性が見えやすかった、そこにいる人の立ち位置も関係しているのかもしれないけれど、みんなの中につながりが見えた」
3つ目
「ずっと薬指を触っていたから、なにかのストーリーを想像した」
「エア指輪を眺めているとき、手のひらの中にあったときは想像で、まるであるかのように見えたのに、エアの指輪を掲げたとき、パントマイムのようにみえてしまった」
「イメージをとても喚起させられる時間であった」
4つ目
「エミーがなにかを観察しているときに、より目になっているのが見えて、何か近くのものを観ているのか、すごく集中しているかのように見えた」
「動きは小さかったけれど、身体に密度があった」
☆次回:「翻訳」と「操作」をします。
ファンクションは目的ではない。これを使って、何かをする、ということ。
また、バナナローラーは、これをやると相当身体がかわるからためしてみてください。


2018/9/4



WHARF workshop

アジアの舞台芸術にかかわるあたらしい担い手 のための「波止場のワークショップ」 “The Wharf Workshop” for uprising figures who will lead the future of Asian Performing Arts 「码头工作坊」参与亚洲舞台艺术的人为对象

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