2018/9/13 十五日目記録【波止場のワークショップ】

2018.9.13 
この日は午前、午後共にチームごとに演出プランを練りあい、創作を進めました。

【午前中:10時~劇場】
●インフォメーション
・昨日の舞台だと、空間の使い方が狭苦しかったので、舞台美術をかえる。
今日は昨日のものをブラッシュアップしてゆきます。1チーム1時間ずつ劇場で信さんと演出について話したり動いたりして、上のスタジオで稽古。
5時に全チームおわったら、一回あつまって、プロローグの舟の練習。その後夕食。
7:15劇場集合。軽く稽古。

順番)チーム3→5→2→4→1
まずは、3の歌を全員で練習。自分の言葉の歌詞でアカペラで歌えるように。

●チームごとの創作
・チーム3.【ダンルオ・ブレンドン・丹澤・ウェンミン】

(・軽くアップ
何かを放る。その何かを瞬時に思いつかないと、身体がいい加減になってしまう。貰った瞬間にすぐ放つ。)

このグループは言葉の問題が大きく、昨日の発表をみていると、主題がずれてしまっている気がした。
(模造紙をみて)選んだものを確認。
A「戦争と災難の中で、生まれたことのない子供たちがいる」
どうしてこの戦争のテーマを選んだのか?
「(ウェンミン)B、Cもよかったけれど、このテーマなら愛などの他のテーマを入れ込めると思ったから」
入れ込めるのは後の作業であり、これを選んだ具体的な理由はなにか?
(シャオイ)多分情報を色々盛り込みすぎている。みんなテーマに対して丁寧にやっていて、ただ、盛り込みすぎてわからなくなってしまった。「戦争と災難の中で~」ここですでに二つになっているので、絞った方がいい。
「生まれなかったこども」というテーマにしぼる。
昨日のパフォーマンスはどういったものだったのか解説。
ウェンミンは何をしていたのか?)「みんなで話し合って、ここに書いてある生命を表したつもり。私は子供で、生命を表していた。」
→もし、この主題でやるのなら、必要なのは「子供の不在」だから、子供一般ではなくて「いない子供」でないといけない。
ダンルオは何をしていた?)「戦争。そして傘は何を表していたかというと、あれはまだお母さんのおなかの中にいることを表していた。でも傘を差していたみんな子供であったわけではない。(戦争というものをどう扱った?)本当は戦争を表したかったわけではなくて、ただみんな戦争を扱っていなかったから私が動いてみた。(具体的に、昨日はどう動いていた?)私の表したかった戦争というのを、お母さんのおなかの中からでられない、ということで表していた。子供にとっては、おなかからでるというのが闘い。」
丹澤さんは何をやっていた?)ウェンミンと男女のカップルで、ただそこにダンルオがきたことでうまくいかず、争いになるという構図でやっていた。
ブレンドンは?)戦争で子供たちをうめなかった、ということについて、争いとしてあらわしていた。
グループが、ウェンミンとみんな、というふうに分かれている。この主題に近づこうとするなら、まずウェンミンが他の三人をじっくり見る。もし、自分が参加できるならば、参加しようと思いながらみている。それが、生まれようとしているということ。
抽象的な形でいいから、みている、ということをやってみよう。
傘というものは面白いと思った。なぜかというと、傘が全ての原因だという感じがした。傘というものが「個人」の象徴にみえた。だから、傘と傘がよると、それ以上近づけなくなる。傘は災害、例えば雨から守ってくれる。だけど、近づくには傘をたたまなくちゃいけない。だけどたためず、また、たたむと武器になる。そんなことを考えて昨日傘をみていた。ただ、昨日はそれを物語として語りすぎていた。色々な要素が強すぎた。

<チーム③演出ノート>
ウェンミンも傘をもつ。傘を持って、座るところから始める(ポーズ自由、動いてもいい)
ただ、子供のイノセントな瞳とか、自分の身体がそんなに大きくないということを常に意識する。
そして、このウェンミンの状態ができたら、みんなも傘をもってでてきて、出てきたところで傘をひらく。そして、開いたら、自分が現実で誰なのかを決める。決めたら歩く。どこを歩いているのか?それも決め、決めたらそこの音を出す。(歌ってもいいけど、そんなに主張しない)目が合っちゃったら、なにかちょっとしたドラマを生んでも無視してもいい。
それで、歩きながら、戦争か災害について、映画の映像のように目の前に思い浮かべる。そして、はっきりと思い浮かべたらそこで止まる。それは記憶でも想像でもどちらでもいい)
そうしたらば、こんどはその戦争の音を出す。誰かがはじめたものに引っ張られる必要はない。(ウェンミンはみてる)自分の声のピークになった、と思ったら、傘を捨てて、身体で動きをする。その動きはそんなに長くなくてよくて、イメージがわいたら、また傘をもって、ウェンミンを見つめる。それでウェンミンは、そのときに、自分も傘をもって参加するのか、それとも退場するのか、どちらか決めていい。
ウェンミンがもし参加した場合、一番最初のシーンをもう一度して、(音を出して歩くところ)それぞれ好きなところへ行く。(生まれなかった子供が立ちあがったら、それはもう生まれた何かになる。立ち上がって傘をひらく行為は「生まれた」という表現。たから、ウェンミンが立ち上がったらエンディング。ただし、ウェンミンがここで考えた方がいいのが、どうやって生まれなかったか、の方がいい。例えば、参加しようとする、立ち上がりかける、しかし傘を開かずまた座る)
ウェンミンが去った場合は、去っていく方向を見送る。
それで、去り終わったら傘を閉じておしまい。(そのまま普通に去る。)
これをベースの演出にしておいて、あとは色々な兼ね合いで話し合ったり動いたりして決める。歩くところ。傘があって、お互い手を伸ばしても届かない。そしてその間を人が通る、そしたらまた分かれて歩く。など、そこのシーンの演出は考えてやってよい。
ウェンミン)「うまれなかった子供という解釈について、三つ持っています。ひとつはお母さんから生まれなかった。もうひとつは、本当は生まれた。だけどいつもお母さんの為とか社会の為とかそういうふうに生きていて、自分の為に生きていない子供。それと、成長すればするほど、自分を失っていく人。」
→このテキストでは、後者は発展させすぎ。このテキストのうまれなかった、というのは、お母さんのおなかのなかに入るよりも前。

<信さんのイメージ>
「すごくイノセンスなものは、それ自体が意味をもつのだろうか」というのがテキストのイメージ。これを戦争というテーマで考えたのが、「戦争は未来の子供たちの為、というが、この未来の子供たちってなんなんだろう。」と思ったから。イノセントだからって、なにか意味を持って影響をあたえるのだろうか?
だから、ウェンミンのいじわるなイノセントがとても気に入っている、悪意があっておもしろくて。生まれなかった子供が酔っぱらってる、それは後の表現でつけてもいい。ただそれだけやっちゃうと、三人との関係性が見えなくなっちゃうから、まずはしっかり見るところからやる。
三人はウェンミンのことは全く無視。だから、戦争とか災害がうわあ、うわあと動いていて、なにもなくなった。そのとき、子供のことを思い出して、ウェンミンをみる。ウェンミンをみたら、今度はこっちが見る人になる。それからウェンミンに影響される。

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チーム⑤【ラン、ヴィヴィアン、玉季、宇井】
・ここはエキストラをたくさん使う予定だったけれど、これはまだきめておらず、これから決めます。
選んだテーマは二番目の李さんのもの。
どうしてこれを選んだのかそれぞれ説明をお願いします。
ラン)李さんと話した時、これが一番理解できた。この主題は、「川底には一種の凶暴さが含まれている」この凶暴さを、僕は希望としてとらえました。
ヴィヴィアン)暗闇の中の光、というテーマに共感したからです。実際の今の自分の立ち位置が、まさにこれったからです。
玉季)すべていいなと思ったけど、この二つ目なら他のも入れ込めることができると思ったから。
人間にとって、暗闇の中の光、というテーマは誰でも持っていて。この暗闇と光の間の行き来が人間の生きるということだと思った。あとアーティストとして共感した。
宇井)李さんの説明がとても明確だったので、骨にできるとおもった。「暗闇の中の光」は他の二つに比べてとてもポジティブで、これにしようと思った。
ではテキストの中で「光」はなんですか?
花。(では花とは、いつの花だろう?場面によって全く意味が違うので選ぶ)
宇井:最初
ラン:下流から上流に流れてるのに出会った時の花
ヴィヴィアン:象の背中の花
玉季:全部だけど、どんどん強くなってくる。だから一番強いのは最後。
李さん最初のシーン)井戸の中の蛙。上に行こうとするのに、なにか力が働いている。それがなにかは明確ではない。
真ん中)井戸からとてもまぶしい光をみる。目つぶしされているくらい、だからその光がすごくすばらしいものかというと、何も見えない。
最後)はっきりは言っていない。ここで死んだかどうかはわからないけれど、川底へ落ちて、あらゆる方向から力が身体に作用してくる。だけど笑顔でニコニコしている。それは、光をみたから。光をみた代償。
<信さんイメージ>これは、僕たち芸術家について書いたお話。だから、この話の主人公は芸術家。表現をしようとする人。そして川で、川底から掬っているというのは生活。「沈んでいる者にしか価値がない」というのは真実だと思っている。これは一番貧しい人たちがやる、ひとつの職業。日本でも戦争がおわったすぐあとはいた。インドにはものすごくいる。特にインドでは、川辺で焼いた死体をそのまま流す。
川下から川上にながれてくるのは本来有り得ない。だけど、それを見るというのが、アーティストがアーティストになるきっかけ。有り得ないものを観る。
それで、向こうで少女を見る。この少女の解釈は色々できて、例えば自分の表現のミューズとか、癒しとか、疲れすぎてみてしまったものとか。そして、芸術家がそれに届くようになるには、自分が自分でないものになる必要がある。変わらなければならない。ただ、変わっても、川という現実があるわけだが、それでも最後はなにか幻のようなものがみえている。」
だけど、このストーリーを語る必要はあまりありません。

<チーム⑤演出ノート>
(はじまり)木の枝とか、ゴミみたいなものをひとり5個づつくらい。それを持って出てきて、この舞台にそれぞれ置くところから始まる。全部できたら、その空間のどこかに入る。そこで、普段の生活の何かをやる。石をカチカチあわせるとか、縫うとか、生活の為にやっている何かの動き。一つのことを延々とやっている、あまり説明しない。それから、2人が一緒に座っていてもいい。本を読んでいてもいいし。これをまず、相当長い時間やる。非常に退屈な日常。昨日は、脱出するまえの時間が短かった。自分がいやになる、お客さんも嫌になるくらい。
そのうちに、舞台上に置いてあるものの中の何かに、とても心を奪われてゆく。
(中)その物の場所になんとか進みたいが、いろいろな抵抗で思うように進めない。だけど、最後そこに到達して、物を持つ。持ったところで、いったん止まる。
ウェイウェイが花を持ってきてくれて、そこに置きます。そしてそれを見る。
(おわり)ここからがパフォーマーの選択。「物をそのまま使う」か「花を選ぶ」
そして、花を選ぶとそこが川になる。それぞれのイメージの川で、川上へ流れていく。(好きな場所へ)そしてどんどん弱っていって、沈んじゃう。でもニコニコしている。
物を選んだ人は、川に流される。ピアノの方に流されていって、どんどん弱っていって沈んでいく。こちらもニコニコしている。
問題は、いろんなことが起こるけれど、いわゆるインプロ演劇みたいにそこで劇を作りたいわけではない。あんまり説明的にしない。それよりも、自分の中で起こっていることを大切にしてあげる。
例えば、同じものに心がひかれちゃった場合、ここでドラマが生まれてもいい。だけど、あくまでリアクションで、作用によって動く自分の心の動きを重要視する。
もう一つ要素。できれば、5のテキストのどれかの言葉を覚えて(言葉でも、文章でも)しゃべる。どこで何を言うかは自分で考える。
二回のパフォーマンスを観ていると、みんな積極的で、抽象的なものをわかりやすくしすぎているかもしれない。演技が表面的。だから、主題をもっと深く自分と結び付けてください。
ゴミは沈んでほしいから、ある程度重さのあるもの。例えば、全部木の枝に統一するとかでも相談していい。
※変化を一斉にやらない。まわりにまかれず、自分のペースときっかけでやる。(もしかしたら最後までうごかないかもしれない)
場面は15分間。ただし、みんなが死んだら、それがきっかけになって次の場面にうつる。
(何故15分かというと、背景で日本語、英語、中国語の字幕が川の流れのように流れている。それが⒖分かかる)
・少し早めに終わった方がいいかもしれないが、そこのタイミングはまかせる
・歌を歌ってもいいが、歌う人にならないこと。
まずはあんまり発展させず、きっかけと自分のタイミングをじっくりつくる。(やるまえに少し思いつきすぎ)最初から決めるというのではなく、変わっていく身体を大切にする。アイディアは、それありきで。「いいパフォーマー(ずるいパフォーマー)は、ちゃんと演技しながら、周りをじっくりと観察して感じている。そして最後に、受けたものを出す。アクションやアイディアが先行しない。たくさんまわりに転がっているものを受信する」
※自分の中で、はりまり、中、おわりが一緒になってしまわないように。たとえば表現方法を変えてみる。生活の時はリアルに、求める時は抽象的に、最後はただセリフをしゃべり沈んでいく…など。

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チーム②【エミー、李、ガオレイ】
テキスト「ただひとり老婆だけが毎日夜明け前のひとときその音に耳を澄ます」
テーマ:心の中を流れている川に気づけない脅威。
この章にはメタファーが3つある。
・川の音
・老婆
・都会の中の舟
これらをどうとらえているのか。
老婆は母なる地球を表しています。最後地球がいなくなったけれど、あれは母なる地球がなくなっても、人類は生きてゆくという、割と冷たい関係性を表しています。老婆以外の2人は人類。
(地球が無くなっても人類はいきていける?)というよりは、この地球は抽象的なものをあらわしています。
昨日の発表をみて、あまりにも抽象的にしすぎている。そして、母なる地球が滅びて人類が苦しむというのは、あんまりにも一般的。
解釈が抜けているのが、「これは都会の詩である」という解釈が抜けている。「都市の中に舟がある」というメタファー。例えば、まったく海のない森の中に舟がある、とか群衆の中にある舟とか、それぞれのイメージは大きく変わる。そのイメージが足りていなかった。
舟に住んでいる老婆は、私たちはしょっちゅう都会で目にしている存在。そんなに抽象的なものではない。だけど、都会の人たちはそのことに気が付かない。ある日その人はいなくなる、でもそれに誰も気が付かない。その人のことをもっと思い浮かべる。
老婆と存在が近いのは、自分たちかもしれない。みんな一生懸命自分の舟をつくって、そこで暮らしている。そこでは人の川の音がとても聞こえて、多くの影響を受けている。
他人と出会ったときに、相手をどう解釈するか。
つまり、都会の中に舟があり、その中にいる老婆、というのは全く他人。
他人を解釈するときにかけているのは、その人は自分だと思うこと。そうしないと「ある日いなくなる」いなくなるのがどうしてなのか永遠にわからない。
・昨日のプラン
はじまり)地球があって、後ろに川の音が聞こえてきます。その前を携帯を打ちながら人々が歩いています。
ここから、地球をとりましょう。「わたしのまわりを、人々が携帯を打ちながら歩いている」
そして問題は携帯を打ちながら歩いているというところ。
どうして携帯なのか?「(李)人々は現実よりもシュミレーションの世界で生きているから。自分のみせたい姿を選択してみせられる」
※このテキストで問題なのは「老婆を出すか出さないか」そしていたとしてもいなかったとしても、それを表すには三人では人数が少ない。
※携帯の光に人が浮かび上がる。何かしているところを、どこかに向かって歩くということで表す。没頭している人々の像。
中)老婆(地球)のまわりを人間がまわっている。
最後)原始の場面がまた出てきて、人は魚になって泳ぎおわる。
最後、魚になるというのはとてもおもしろいと思う。自分では気づいていないんだけど、いつのまにか川の流れの中で泳いでいる。気づかないうちにみんな魚になって街を泳いでいる。川の流れの魚のようにながされる自分達。つまり、自分の本当の姿を知らない。老婆は自分の本当の姿を知っている。街とかどんどん発展しているように見えるけど、それは川の流れのようなものである。
老婆を自分だと考えて、もう少し議論をしてみる。そして老婆(自分)にとっての舟は何か考えてみる。劇場かもしれないし、家かもしれない。

<チーム②演出ノート>
はじまり歌をやりましょう。そのときに、舟をこいでいるパフォーマンスをする。ピアノを弾いている人、歌うひと、舟をこぐ人はそれぞれそれだけをやる。
それでそのシーンはおしまい。次につなげなくてもいい。
次、携帯をだして、どこかに立つ。携帯をつける。暗くする。しばらくその携帯を見つめている。ここではそれぞれ本当に携帯を使いましょう。ゆっくり動き始める。その時なにをうるかは任せるけど、余計なことはしない。たくさんの人達が同じように歩く。
エミーだけが、みんなが動いているなかで止まる。みんなの様子を見る。携帯を舟のところに置く。そして、昨日着ていたグレーの上着を着て、タオルをリノの上に敷く。
そして仮面をつけて、タオルの中に入って、老婆になる。つまり、老婆は突然やってきた存在ではなくて、この人達の中から生まれた存在。老婆ができたら、エキストラ去る。
そしたらば、あとの2人はこの老婆のまわりを歩く動きをする。エミーには、みんなの川の流れの音が聞こえてくる。そのとき、能の動きにするかどうするかは自由。ただ、携帯を見ている人間の感情、あるいは携帯の内容を表す、なんにせよ理由のある動きにする。
2人が絡んでもいい。
最後、魚になるのではなくて、それぞれの川を見つける。そこで舟に乗る。そこで舟を漕ぐ。
そしたら、エミーは選択する。「舟にくわわる」仮面をはずして、漕ぎ出す。
「おばあさんのままでいる」立ち上がって、舟を持って去る。
松島さんや啓子さんや能で学んだことを参考にしてみるといい。ただ勝手にやらずに、相談してやる。歌のシーンを最初にするか、最後にするか相談する。
エミーはピアノの近くで歌った方がいい。

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チーム④【ジェンファ、ウェイウェイ、ダレン】
選んだテーマ
二番目のテーマ「希望」
ゾンファ)「私は動作で選びました。説明が一番よくわかったのがこれでしたし、他の人達の要素も入れられるとおもったので」
ダレン)「この動きは曲線を表していて、水を表せると思った。」
大体のベースはあれでいいと思った。ただ、決まりすぎて、二回目の動きがなぞっているように見えた。また、緊張感が途切れてしまったところがあった。
劇中でしゃべっていたのは歌。「大きな川の水は東の方に流れていく。」という歌詞。それをどういうふうに歌うか。歌詞に共感して歌うのか、からかって歌うのか。
ダレン)「テーマが希望なので、誰もが希望を求めているという意味で歌いました。希望を探すときに、身体でも探すし声でも探す。」
ジェンファ)「特に何も考えないで歌っているんですが、その時の自分の身体の状態から出てくるかんじで歌っている」
ウェイウェイ)「割と静かな場面がつづくので、それを夜と位置づけ、声をだすことによって夜明けを表し希望を見つけたという表現でうたっている」
本当に希望として歌うのか?皮肉に取り扱うのか?これはどちらを選択しても構わない。
歌の効果には二つある。一つはミュージカルのようにその場面を印象強くするため。もうひとつはブレヒトのように、歌う時は役から離れ、別の次元を差しはさんで中断し、説明するために歌う。
それから、ステージがかわったので、動きがかわると思うので詰める。
それから、上半身だけの動きの場面と全身を使う場面を自分の中ではっきり区別する。(見せ方というよりも自分の中で)
またパフォーマンス中は、後ろの壁に詩が川のように流れている映像を映します。ここでは、その言葉を発生する人がプラスされます。(パフォーマンスには直接かかわらないけど。ずっと朗読するわけでもない。)パフォーマンスがとても完成されていたから、なにか壊すものを入れたかった。

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チーム①【田村、シュウロウ、ドリーン、ヤグニャ】
選んだのは4番目
テキスト「神聖なる川よ」
テーマ:舟とは?
田村)「川を挟んだ人々との対話について、全然違う文化が出会ったとき、まじりあうのか、塗り替えるのか、争いがおきるのか、どうなるのかをお客さんに託したいと思った。それが今の日本ととても共通していると思った。」
ドリーン)「4番目の主題の意味は、コミュニケーションの手段はなんだろうか、ということだと思う。コミュニケーションの手段がないゆえに争いが起きるのだと思った。そしてコミュニケーションの手段は言葉だけではないと思った。」
シュウロウ)「ランジェンフェが図解を書いて説明してくれた時、とてもリアルに主題や構造が自分に迫ってきた。両方の人々は祈ってるには祈っている。気持ちはあるのに真ん中を行き来する舟がない、それは何故なのかということを考えました。このテキストの中では舟がないからコミュニケーションがとれない、と書いてありますが、果たして舟があったとしてもとったのだろうか?」
ヤグニャ)「コミュニケーションの手段は沢山あるのに使い方を間違っている。あるのにミスコミュニケーション、それがとても興味深い。舟があるのに人が使わない。それを使って平和にするとかをしないのがおもしろいと思った」
3つの場面について、どんな場面を考えたか。
はじめ)片方の岸が楽しい、片方の岸が恐ろしい。お互いが、それぞれ自立して対比している」
中)ハッピーな方がこの気持ちを伝えようとする。しかし、恐れのほうは拒絶する。
おわり)結局なにも変わらずに、対比の存在としている。ただし、ハッピーな方は「自分たちの土地に戻りたい」と祈り、恐れている方は「もうなにも変化がおこってほしくない」と祈る。祈りの意味は違うが、どちらも川に祈っている。
話を聞いていると、すこしテキストから離れていってしまっている。
テキストでは、両方が両方を恐れている。
片方は、自分達がそこを捨てて旅立ち向こう岸にいった罪を恐れている。舟があっても出すことができない。向こうにいったら、土地を捨てた罰を与えられると思っているから、舟がだせない。「自分で行きたいけど、行ってはいけないと決めている」
片方は、向こう側が恐ろしい人々だという恐れを抱いている。攻撃を恐れているから、舟がとても恐ろしい。
コミュニケーションの恐ろしいところは、親切に出した手自体が相手にとって恐ろしいものであったり、手を出すことが恐ろしくて躊躇する(出したいけど資格がないと思ってしまう)こと。つまり、片っぽがなんとかすればなんとかなると思うのは違う。
昨日のパフォーマンスで面白いと思ったものは、情報の川が恐れを呼んでいるということ。
たとえばヘイトの写真で「日本人お断り」の文字を見た時、日本人は反発するか?おそらく、反発よりも恐れが勝つ。差別の恐ろしいところは、相手を恐れさせること。
そして逆にいうと、こういうことをする人達の動機も、実は恐れである。
エドワード・ボンド「戦争の原因は怒りだ。だけど、怒りの本当の原因は恐れだ」両方の恐れがエスカレートしていくことが恐ろしい。
行為と、行為を写真にとる、というのは全くの別行為。そして、この写真をネットにあげるというのもまた別の行為。実際は10人くらいの人の恐れが、ネットで拡散され、韓国の代表のようにみせている。
また、黄色人、黒人の恰好をした写真では。自分と違うものを真似している。そのとき、笑いと結びついてしまう。それはとても表面的で、相手に深く入れなくなる、見えなくなる。
と言っておきながら、結婚したい相手ランキングは外国人。そして、こういう何の意味もない統計をとること自体。この統計に、自分はどこにもいない。
ネットはとても便利だけれど、そこにはゴミばかりがある。
ヤグニャ)「今の時代に生きていて、情報とかイメージの過多の時代に生きている。ただ、こういう分断というのは新しい事でもなんでもないが、今の時代の問題は、自分にとっていい情報で周りを固める事が可能であるという事。例えば、トランプ大統領が当選したとき、自分は日本にいたが、そのとき情報の流れが見えてとても興味深かった。自分のFBは当選にびっくりしていたが、それは反対派で自分の周りを固めているから実際のところが見えていなかった。これが南部の人達の間の反応であったら、だれも驚いていない。」
ではこの情報をつかって、何を表したいのか?)
「恐れや誤解が鍵として絶対にあるだろうということは思っていた。その恐れ、誤解、という点で、このヘイトの情報は共通していると思ったので使った」
・2つの岸がある
2つに分かれるまえ、みんなが一緒だったのはよかった。つまり、もともと違う2つのもの、というわけではなく、本来は同じものが二つにわかれてしまったという解釈はいいと思う。

<チーム①演出ノート>
はじまり)・開始の位置は即興だと難しいからよく決めておく。プロローグがおわったあと、去らずに定位置へいく。そこから移動して、前回の通り4人が一つになって円になり内向きでうずくまっている。そこからどんどんと立ち上がる。能のすり足をつかって、跡をつけるように音を出しながら歩く。相手と出会ったら、ジャンプする。(コンタクトしっかりとっておく。着地は静かに)映像が後ろにながれているから、それをちゃんと意識する。
・まわりながら、川の音だす。そして、4人はふたつにわかれる(ヤグニャ、田村)(ドリーン、シュウロウ)見つめ合って、だんだん恐れがうまれるまで。
・そのうちにエキストラがヘイトの紙を客席にみせて、その紙で川を2つの間(段差のところ)に作る。
中)・並べ終わったら、自分の紙を出して、客席に向いて読み上げる。お互いの内容をシェアしあって、全員がみんなの言葉を自分の言葉で言えるようにする。それがおわったらできるだけ近づいて、この言葉を相手に届けようとする。相手に向かって紙を投げる。川の向こうまで投げ入れる、でもすべて床に落ちてしまう。
おわり)・床には落ちた紙。ひとり二枚ひろう。そしたら、その紙を置く場所を決める。それぞれがそれぞれの方法で、その紙を拝む(それぞれが知っていて、自分がやる拝み方。パフォーマンスではなくて、本当にやっていい。ただ、人に見せるため、聞かせるためじゃない)祈るのは、恐れを鎮めるため。


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●インフォメーション
今日はこのあと1番最初のシーンを練習。
それから夕飯、そのあと7:15分にはもう一度ここに戻ってくる。
●プロローグ練習
自分でつくった舟をイメージして実際は持たない。順番は決まっていない。(待ち方は、階段の方に広がる)続々と舟をもって入ってくる。
入る前は、ただ普通に立っている。前の人が言ったら普通に入ってきて、自分のコースのところへ行く。コースについたら、舟を持つ。そして、パネルに到達するまでは、まっすぐのラインでくる(斜めはNG)ついたら、パネルにそって歩いていい。(もちろんぶつかっちゃうなとかは臨機応変に)
少しゆっくりすぎる。もうすこしスピードアップで。(能の訓練やりすぎたって思われるよ)
本番は、途中の出入りなどはガラスの入口、階段の入口つかえます。
●歌(約3分)
中国語、英語、日本語、みんなで、の順番。
中国語:李さんの声を中心に。他の人はすこし声をおさえる(そのかわり子音をはっきり)
英語:李さんハーモニー。声量ほしいから全員歌う。
日本語:李さんハーモニー。レガートやさしく歌う。
みんなで:李さん混じる。
●舟からのヘイトシーン
ヘイトの紙はあくまでゴミだから、そんなにきちっとしない。ただリノの上にのせてはダメ。
人はパフォーマンスをしないように。ペーパーがオブジェクトパペット
・ばらばらに出たいので、最初の方に入ってきた人は後に回るとか、意識的に順番変えて。
・パネルのうしろに行く動きがとても重要。
・台の上を歩く人は音にすごく注意する
・舟動かしている人、呼吸して。呼吸を意識する。
●インフォメーション
今日は短時間で進めましたが、昨日みた感想をいうかわりに具体的に提案をしたつもりです。だから演出で決めたわけではありません。
ただ常に観客にどうみせる、かを意識すること、その仕方をみなさんと共有しました。
演出家によってやり方は色々あれど、今回の場合は「足してゆく」つまりどんどん挑戦する。そして、リハーサルのときは余計なものを削ってゆく作業にしたいと思っております、いろいろと試してみてください。
あしたは10時にスタジオ集合。少しだけウォーミングアップ。
テクニカルスタッフが二人くるので紹介します。
午前終わったあと照明などが入ります。(何人か背の高い人手伝ってもらう)
飯名さんが来てくれました!字幕もつくってくれました。
本番、映像は吉本さんがとってくれます。

WHARF workshop 2019

アジアの舞台芸術にかかわるあたらしい担い手 のための「波止場のワークショップ」 “The Wharf Workshop” for uprising figures who will lead the future of Asian Performing Arts 「码头工作坊」参与亚洲舞台艺术的人为对象

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