ハルナ

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2018/9/16 十八日目記録【波止場のワークショップ】

9月16日

<本日のスケジュール>
・客席の増席、リノの位置を変えます。貼り終わったら演出稽古へ→
・昨日の振り返り
・12:30まで返し稽古等に使う
・13:30~開場
・14:00~本番
・劇場で写真撮影
・おわったらスタジオ集合(時間は終わった後から連絡します)
・エバレーション
・そのあと打ち上げ準備(・劇場片付け班、お料理班、会場班)
(開始時間はまた後から連絡します、が9時近くになると思います)


●演出稽古

・カーテンコール歌
李さんがピアノへ行ったら、みんなは密集して顔が近づくようにあつまる。4列。
自分の一番得意な言語のときだけ歌って、歌わない時は顔を下に向ける
・最後、みんな身体を正面にして、それぞれ得意な言葉のものを歌う
(自分がはっきり歌えるものだけ。自分の位置が後ろの人を隠していないか気を付けてあげる)
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●アフタートーク内容
・「文化も言語も違うと思いますが、作品をつくるうえで一番苦労したものはなんですか?」

ウェンミン)最初は相手の気持ちがわからなかった。確かにこれは一番大変だった。だけど、だんだんとわかってくると、気持ちの通ってなかった時の誤解が溶けて行って「そういうことだったのね!」とおもしろい発見ができたり、暗黙の了解ができてくる。一つの言語だけでは、今回のような作品はつくれなかった。大変だったことですが、一番おもしろかったことでもあります。

ブレンドン)ある種の砂場のようなところに入れられると、一つの作品を作るときにお互いに反応しあわなければならない。それがフラストレーションを生むこともあったが、非常に興味深いところだったと思う。

李)いろんな講師の方が来てくださって、全て初めてのことでとても難しかった。でもそれを吸収したいと思ってWSを受け、実際に作品に取り入れる時、そうやって反映させようかと試行錯誤した取り入れ方が面白かった。

シャオイ)対話とアクションが行われることに意味があり、そこに僕たちが関わり続けることが重要。20日間一緒に暮らして、実際に毎日変わった。初日と今日も違うし、毎日変わっていった。異なった文化の人が、変わっていく流れの中で、一つの瞬間を共有することはとてもおもしろいこと。この出会いはとても大切なものだと思う。

若葉町ウォーフWSについて。信さんまとめ
・これからも、ものをつくるトライアウトとして毎年続けていきたい。
・やっているときに、どうぞみなさん見学しにきてください。
・アンケート用紙を書いてください!

千秋楽お疲れさまでした。
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●エバレーション内容
・今回のWSは、これで終わりではなく、これからも継続をしてゆくWS。来年のこの時期か少し早い時期にまたWSをやります。今年の末までに募集をかけます。・こちらから呼ぶことも、募集をかけることもあるので、どうぞ呼びかけに答えてください。
・強制ではないけれど、このWSのポジティブな面・ネガティブな面・提案・クエスチョンを、信さんにメールで送る。それはまた共有していく(HPにアップしていきます)
WHARFのHPにどんどん更新してゆきます。Googleを介してないから中国でも見られるはず。更新が止まることもあると思うけれど、決して殺しはしないので、時々訪れて下さい。


・今回のエバレーションは質疑応答という形で行ってゆきます。

【出てきた質問】

・エミー)「他の人の意見がどうしても気に入らない時、どうしたらいい?」
・ヤグニャ)「どうすれば、グループ内のテンションのギャップを埋めて平和に過ごせる?」
・玉季)「この波止場のWSを行おうと思ったプロセスについて」
・李)「それぞれの背景がわからない、とても簡単な履歴を見て、どうやって人を選考したのか?今回の18人はとてもやり方の合った人が集まったと思うけれど、私はこれ以外はやりたくないという人がいたらどう対応しますか?昔の人は新しいものに対して拒絶をしますが、信さんはどう対応してきましたか?」
・ブレンドン)「グループでやっていて、恐らく機能しないような案を提案されたとき、取るオプションは2つあると思う。1つは「これは無理だ」と最初から言う、もう1つは「無理だと言わずとりあえずやって、結果やはり無理だった」というもの。この他になにか方法はありますか?

・エミー)「よくWSに伝統の人を呼びますが、中国ではコンテンポラリーと伝統はまず混ざり合わない。この取り入れ方を知りたいです」
・ヤグニャ)「伝統的な演劇の形を、どれだけ尊重してコンテの中に取り入れればいいのですか?伝統とコンテのバランスはどうしたらいいのですか?」
・田村)「信さんのポジティブ・ネガティブ・提案・クエスチョンを教えてください」



自分の方法を伝えるのには色々方法がある。
ティーチング、トレーニング。信さんはWSという方法を選んだ。信さんはこういう方法でつくったけれど、昨日と今日やってみて「違う」「こういう方法もあるんだ」と気が付いてくれたら正解で、うーんとなればうーんでいい。
WSという方法は色々な使われ方をしているけれど、本当はもっと慎重な使われ方をしないといけない。WSそのものは100年くらいしかまだ歴史を持っていない。(WSの発生はアメリカ。教育学者であり哲学者の、プラグマティズムで有名なドゥーイという人物が作った。その考えをもとにWSが考えられ受け継がれてきた。それがいくつかの流れに飛び火して、いろんなタイプのものができた。信さんが使っているのは、1980年代にアメリカから来たものを、アジアの人達が4,5年かけて作り替えたもの。
WSについて言えることは、WSという手法は絶対に失敗しない。それが素晴らしいところでもあるし、とても怖いところでもある。
どういうことかというと、これは非常にマインドコントロールの方法に近い。(買いたくないものを買わせるとか、ヘンな宗教に入れるとか)
WSのシラバスを習っていれば絶対成功するが、とてもとても注意深くやらなければだめ。WSの手法を使っている限り、この場が肌に合わない人でも満足する。
だから、このWSは、メソッドを伝えたくて催したものではなくて、これから作品をつくってゆくためにはどうしたらいいのか考えるためのきっかけであった。
「これは第一歩で、はじめのきっかけ。そう考えると、みんなもボクも同じ立場だった。ボクはメソッドという言葉が昔から大嫌いで、だってとてもエバってる。物を作るときに必要な新鮮なエネルギーをとても抑圧する。」
だから、このWSでは「これは使える!」というものを沢山持って帰ればいい。信さんがここで伝えたことがそのまま伝わってもしょうがなくて、持って帰ったものがその場で作り変えて生かしていってほしい。
そして、作り変えようとしたときの困難に出会った時の質問を望んでいるから、このWSを続けていく。

伝統と現代についての質問は、比較的答え安い。
本来、「トラディショナル」「コンテンポラリー」というものはない。
この概念はヨーロッパの近代が作り出したもの。何を意味しているのかというと、コンテンポラリーとはヨーロッパの伝統の現在の姿をコンテンポラリーと呼んでいる。だから、ピナバウシュの舞踊とバレエは別じゃない。身体についての考え方も基本的な訓練も同じ。サミュエル・ベケットとシェイクスピアの間にはなんの切れ目もない。
トラディショナルという言葉の本当の意味は「西洋人にとって、ヨーロッパ以外の伝統的なもの」という事。
しかし我々にとっては、コンテとはウェスタンのことであり、伝統とは自国の昔のこと。だから、そこのギャップが必ず出てきてしまう。

とても乱暴な言い方をすれば、日本人のやっている舞台は、歌舞伎や能の現代の姿。なぜなら日本語を使っている、日本人の身体を使っている、日本人の所作、記号、ボディランゲージをつかっている、日本人の感情を使っている。それが土台。今回のWSに来てくれた講師の方々の間にも、何の切れ目はない。
自分達の作品を作るとき、能の作品をつくるわけにもオペラをつくるわけにもいかない。しかし、(重要なのは)全くの別物をつくるわけにはいかない。そこを踏まえた先のものをつくらなければいけない。
我々はプロフェッショナルとして人間のそういうところに目を向けるべきだし、学んでいかなければならない。そのとき必要なのは、伝統とコンテを分けないという事。
非ヨーロッパの伝統は、ほとんど自分の姿を変えようとしない。あるいは、変える時、とても奇妙な変え方をする。とにかく、伝統/コンテ両方に求められることは、意識を変えていくこと。


「他人の意見との関わりについて」
演劇というものが持っている一番根本的な表現は「私はここにいます」ということ。
それはつまり「私はアナタを違います」ということ。
個人でやる芸術は比較的楽である。それが演劇になると「どうしてIm here を大勢で一緒にやらなければならないんだ!」となる。
だけど気がついたことが、例えば今日のパフォーマンスを見ているとみんなが「どうしよう、解決しなきゃ!」となって、なんとみんなが舞台上で協力しあう事か!ということ。演劇は協力する。徹底的に一人で表現したい、Im hereをやりたい人には、演劇はそもそも向いていない。
だからこそ、プロセスはすごく大切。確信がないと辛くてやれたもんじゃない。
演劇に必ずつきまとう困難。
これが辛い人は、今すぐやめたほうがいい。あるいはアマチュアとして自分の好きなものだけをやる。プロとアマチュアはここで別れる。
ブレンドンはとてもいいところをついた。プロは、無理なアイディアを受け入れたうえでブラッシュアップして返す。自分のできることをやるだけだと、そんなに難しいものではなくて、ここで相手に返せるかどうかがプロであり、その為の技術と才能。
もう1つ、この質問が信さんにとって難しかったのは、いま信さんには受け入れがたいものがそんなにないから。それは信さんの心が広くなったからということではなく、色々経験してやってみて「ああ、知っているよ」っとなっている時に、全然知らないものを見れるのがすごく楽しいから。
だから、もしかしたら今回のWSで一番得したのは信さんかもしれない。

では、時間になったのであとの質問は後程!

・舞台バラシ班(劇場で岡島さんと一緒にバラシ)
・お料理班(モリメシのお手伝いか、ウェイウェイ中華隊)
・会場班(うんと楽しくする。別途のお金でお酒をそろえる)

みなさん、それぞれ班にわかれて、打ち上げのパーティーの準備をしましょう!

2018/9/15 十七日目記録【波止場のワークショップ】

9月15日㈯ この日は本番前に場当たりをし、19時から初日を迎えました。 ●タイムテーブル ・10:00-準備(舟を事務所に配置。歌の練習) ・11:30-劇場セットアップ。小道具、モニターなどセットアップ   昼休み ・12:00-テクニカル(劇場) ・15:30-リハーサル コスチューム着て ・19:30 本番 階段のところをカーテンで仕切ってあります。本番中、出入りする人は気を付けてください。 あと、開いているのに気が付いた人は、閉めてください。 ●場当たり ・舟のシーン最初から、シーン①入りまで (舟の一番後ろの人、李さんのボートをセットしておいてあげる) (一番先頭だと思う人は階段の上で待っている。最後、岡島さんのがカーテンをしめたら開演。はじめの舟が出る) (① への動きだし遅い。動きだしみんなで一斉にではなく、ゆっくり時間をつくる。誰かは決めないが、誰か最初の人が行った所に集まる。) ・ヘイトの紙をみせるところ、きっかけ ・①と②の入れ替わり ・エミー歌い終わって携帯のシーン(携帯の入りが遅い) ・ジェンファ、水の入り。③へ(③の人達もっと入り早く) ・③から④入り ・ジェンファ、赤の扉の裏にいて、ウェンミンが去るとき扉の介錯 (ただしウェンミン去るかどうかは、またスタート誰から行くかなど決めない) (即興的でいいが、大事なのは合わせるならみんな厳密に合わせる。違うならはっきりと違うこと。そしてそれが効果的であるということ) ・ウェイウェイ、最後はけるのに少し被って下手の台上で祈る。 ・3人が横一列になって揺れ始めたらヴィヴィアン入り。ピアノを弾く。 ・ヴィヴィアン、ピアノを弾いたら、オーディエンス、それぞれのゴミを持ち入り。それぞれのキャラクターで置いていく。 ・ピアノ終わりで字幕。一回ゴミの絵を見せる。チーム⑤入り。 (ゴミを置く人達、みんながみんなに頼りすぎている。もっと全体のバランスを考える。) ・チーム⑤の人々自分の仕事を続ける。ひとつのゴミを取りに行く。 ・舟(ここで暗転は入れない) ・岡島さん、扉の介錯。李さんカーテンをあけて外へ出る。 ・最後、田村さん捌け。 ・全員捌けたら、戻っていきて、台の上と下で二列になって礼。 (最初の動きとあわせる。最後の舟はできるだけ1艘1艘見せたいので、あんまり混雑しないように。早くいきたい人は、あらかじめ感覚を開けておくなど。) (スタートは、扉のカーテンを出たところから) (外に出る時、酔っ払いと車に気を付ける事) ・礼をしたらカーテンコールの歌に入る。李さんだけ動いてピアノへ ・演奏が始まったらそれぞれ好きな場所へ行って座る。 ・お客さんとだけじゃなく、お互いにもコンタクトを取り合って歌う。 6:40~から6:50まで、小道具のプリセット 19:00から、初日です。よろしくお願いします。

2018/9/14 十六日目記録【波止場のワークショップ】

本番前リハ、はじまりからおわりまで通し、フィードバックをしてゆきました。●インフォメーション 本日の予定 10:30 男性陣劇場へ。舞台変える。他の人11:00劇場へ。 11:15 頭からリハーサル 昼休み 13:30 最後まで。同じシーン繰り返すかもしれないけれど、基本順番にやります。覚える事たくさんあるからメモしてください。 コーヒー太郎さん紹介。本番、コーヒーショップをやってくださいます。 ●アップ 【当番:ブレンドン】 頭の重さを感じてまわす。上を向いたら左右に倒して首を伸ばす。頭の重さでまわす。 頭を手で押さえて左右にのばしてあげる。この時反対の手を下に引っ張ることでのびる。 肩をまわす。だんだん回しを大きくして、だんだん小さくする。 上半身脱力して、前に倒す。そこでダンベルを持つイメージをして、身体のまわりで大きくまわす。 ふっ!はっ!ひっ! 「ふっ!」といって合図を飛ばしたら、飛ばされたひとが「はっ!」といってポーズをし、両隣の人が「ひっ!」とその人を切る。ポーズした人が今度違う人に「ふっ!」と合図を飛ばしてあげる。 ●舞台変え パネルを倒して、後ろの机を出す。椅子15個。 出番のない人はパネルの後ろにひっこむのではなく、椅子に座っていつでも見られているようにする。 ●リハーサル エピローグ【舟】 ・一人ずつ扉から出てくる。 ・チーム①の人達だけ、自分の板付きの場所についたら立ち止まって前をみる。 ・そのほかの人達はイスに座る。 チーム①【ヤグニャ、田村、シュウロウ、ドリーン】 ・4人そろったら字幕 ・段差を挟んで・下手台の上(ヤグニャ田村)・上手台の下(シュウロウ、ドリーン)に分かれる。 ・わかれたら、椅子に座っていた人達はヘイトの紙を持って舞台上に入ってきて、観客に紙を見せる。 ・じっくりと見せたら、リノと台の間に紙を並べる。並べたらイスに戻る。 チーム②【エミー、李、ガオレイ】 ・お祈りが始まったら、李さんが紙の川を片付ける。そのままピアノへ。 ・エミー入り。シーンが変わって、ちゃんと成立したと思ったら、ヤグニャ達ニュートラルになってはける。 ・歌が終わるとエキストラが歩きだす。みんなが落ち着いたら字幕スタート。 ・終わるところでモニターに映像を映す。 ・舌のコツコツなる音がする。 ・チーム③【丹澤、ブレンドン、ダンルオ、ウェンミン】 エキストラ水の音【ジェンファ、ドリーン、ウェイウェイがゴミ袋で音をだす】 【田村、宇井、玉季、ランジェンフェ、ダレンもゴミ袋でサウンドをつくる。繊細に】 ・エミー歌を口ずさみながらタオルを羽織って退場。 ・完全にサウンドが出来上がったら、まっくらにする。字幕。 ・ウェンミンの捌け2パターン、それぞれの方法ではける。 チーム④【ウェイウェイ、ジェンファ、ダレン】 ・ウェイウェイ、下手、台の上で祈っている。ダレン、ジェンファも加わる。 ・三人が始まったら字幕流す。 ・ウェイウェイ、下手から上手へすり足。 ・台の下ではジェンファ、ダレンの2人が出会う。 ・しゃべりはじめる。ウェイウェイ、2人に近づき一列になる。全員字幕をみる。 ・3人が揺れ始める。 チーム⑤【ランジェンフェ、ヴィヴィアン、宇井、玉季】  ・3人が揺れ始めたら、ヴィヴィアンが3人の前を通ってピアノに向かう。 ・ピアノの音楽がなりだしたら、みんなのゴミを1人1つ持って、白リノの上にどこでもいいから置く。パフォーマンスだと思って置く。あまり一斉にいかず、4人くらい。どこに置くのかはみんなで工夫。 ・みんなが物を置いて去り始めたら、宇井さんみんなに少し被って入り⑤が始まる。 ・ヴィヴィアン、ピアノ弾き終わったら自分の位置にいく。 ・ヴィヴィアン入ったら字幕スタート ・物をもちあげたら、椅子の人が花を置いてあげる。これがこの章で一番わかりやすくてドラマチック。 ・物をとるか、花をとるか選択。物→下手。花→上手。花の回収→上手へ ・4人が流れたら、みんなゴミの回収と退場。みんなに紛れて4人も退場。赤い方のドアへ ・みんながいなくなったらウェイウェイ、花を持って立つ。まず花だけをしっかり登場させる。それから歩き出す。(この花なら片手で扱った方がいいかも) エピローグ 舟を持ってでてくる。みんな自分の舟。 大きい舟から小さな舟。 チーム②(水の音が水に聞こえなかった。この水の音は、みんなのお気に入りの音だと思っていたのだけど、少し雑すぎる。ウェンミン以外の人達が、まだ実力が出し切れていない。 考えた中から発展させる仕方が共有されてない。このグループは特に言語の問題が難しい。もっと相手の為に拾いに行く。ここをやればいいんだっていうポイントを見つける。いままでやってきたWSや、ここでの出会いを生かす) チーム⑤(日常から物に移る展開が少し遅い。リアルな動作をやる必要はないけれど少し余計な動作が入りすぎているかも。全体のアンサンブルをもっとよく見る。 時間をつくるにはもっと丁寧にやる。辛くても反復する。その反復に耐えられなくなるからものを見つける。物とコンタクトする瞬間を大切に。) オーディエンス(自分のものに向かってるってわかるように。大概毎日かわるから。どのタイミングで出るのかは自分で考えながら。 ※大体の原則としては、このパフォーマンスがおわりそうになったら重ねていくという感じ。 待機中の在り方として、オーディエンスとして常に全員が一緒にやるという事に切り替えたので、どうかもっと慎重に。 そうすれば、1人の演出家がつくれるものよりも、もっと細かいものが作れる。椅子に座っている人達はもっとできる。即興でやる場合は、みんなは作家で演出家でディレクターなのである。

2018/9/13 十五日目記録【波止場のワークショップ】



2018.9.13 この日は午前、午後共にチームごとに演出プランを練りあい、創作を進めました。【午前中:10時~劇場】

●インフォメーション
・昨日の舞台だと、空間の使い方が狭苦しかったので、舞台美術をかえる。
今日は昨日のものをブラッシュアップしてゆきます。1チーム1時間ずつ劇場で信さんと演出について話したり動いたりして、上のスタジオで稽古。
5時に全チームおわったら、一回あつまって、プロローグの舟の練習。その後夕食。
7:15劇場集合。軽く稽古。
順番)チーム3→5→2→4→1
まずは、3の歌を全員で練習。自分の言葉の歌詞でアカペラで歌えるように。


●チームごとの創作

・チーム3.【ダンルオ・ブレンドン・丹澤・ウェンミン】(・軽くアップ
何かを放る。その何かを瞬時に思いつかないと、身体がいい加減になってしまう。貰った瞬間にすぐ放つ。)

このグループは言葉の問題が大きく、昨日の発表をみていると、主題がずれてしまっている気がした。
(模造紙をみて)選んだものを確認。
A「戦争と災難の中で、生まれたことのない子供たちがいる」
どうしてこの戦争のテーマを選んだのか?
「(ウェンミン)B、Cもよかったけれど、このテーマなら愛などの他のテーマを入れ込めると思ったから」
入れ込めるのは後の作業であり、これを選んだ具体的な理由はなにか?
(シャオイ)多分情報を色々盛り込みすぎている。みんなテーマに対して丁寧にやっていて、ただ、盛り込みすぎてわからなくなってしまった。「戦争と災難の中で~」ここですでに二つになっているので、絞った方がいい。
「生まれなかったこども」というテーマにしぼる。

昨日のパフォーマンスはどういったものだったのか解説。
ウェンミンは何をしていたのか?)「みんなで話し合って、ここに書いてある生命を表したつもり。私は子供で、生命を表していた。」
→もし、この主題でやるのなら、必要なのは「子供の不在」だから、子供一般ではなくて「いない子供」でないといけない。
ダンルオは何をしていた?)「戦争。そして傘は何を表していたかというと、あれはまだお母さんのおなかの中にいることを表していた。でも傘を差していたみんな子供であったわけではない。(戦争というものをどう扱った?)本当は戦争を表したかったわけではなくて、ただみんな戦争を扱っていなかったから私が動いてみた。(具体的に、昨日はどう動いていた?)私の表したかった戦争というのを、お母さんのおなかの中からでられない、ということで表していた。子供にとっては、おなかからでるというのが闘い。」
丹澤さんは何をやっていた?)ウェンミンと男女のカップルで、ただそこにダンルオがきたことでうまくいかず、争いになるという構図でやっていた。
ブレンドンは?)戦争で子供たちをうめなかった、ということについて、争いとしてあらわしていた。

グループが、ウェンミンとみんな、というふうに分かれている。この主題に近づこうとするなら、まずウェンミンが他の三人をじっくり見る。もし、自分が参加できるならば、参加しようと思いながらみている。それが、生まれようとしているということ。
抽象的な形でいいから、みている、ということをやってみよう。
傘というものは面白いと思った。なぜかというと、傘が全ての原因だという感じがした。傘というものが「個人」の象徴にみえた。だから、傘と傘がよると、それ以上近づけなくなる。傘は災害、例えば雨から守ってくれる。だけど、近づくには傘をたたまなくちゃいけない。だけどたためず、また、たたむと武器になる。そんなことを考えて昨日傘をみていた。ただ、昨日はそれを物語として語りすぎていた。色々な要素が強すぎた。

<チーム③演出ノート>
ウェンミンも傘をもつ。傘を持って、座るところから始める(ポーズ自由、動いてもいい)
ただ、子供のイノセントな瞳とか、自分の身体がそんなに大きくないということを常に意識する。
そして、このウェンミンの状態ができたら、みんなも傘をもってでてきて、出てきたところで傘をひらく。そして、開いたら、自分が現実で誰なのかを決める。決めたら歩く。どこを歩いているのか?それも決め、決めたらそこの音を出す。(歌ってもいいけど、そんなに主張しない)目が合っちゃったら、なにかちょっとしたドラマを生んでも無視してもいい。
それで、歩きながら、戦争か災害について、映画の映像のように目の前に思い浮かべる。そして、はっきりと思い浮かべたらそこで止まる。それは記憶でも想像でもどちらでもいい)
そうしたらば、こんどはその戦争の音を出す。誰かがはじめたものに引っ張られる必要はない。(ウェンミンはみてる)自分の声のピークになった、と思ったら、傘を捨てて、身体で動きをする。その動きはそんなに長くなくてよくて、イメージがわいたら、また傘をもって、ウェンミンを見つめる。それでウェンミンは、そのときに、自分も傘をもって参加するのか、それとも退場するのか、どちらか決めていい。
ウェンミンがもし参加した場合、一番最初のシーンをもう一度して、(音を出して歩くところ)それぞれ好きなところへ行く。(生まれなかった子供が立ちあがったら、それはもう生まれた何かになる。立ち上がって傘をひらく行為は「生まれた」という表現。たから、ウェンミンが立ち上がったらエンディング。ただし、ウェンミンがここで考えた方がいいのが、どうやって生まれなかったか、の方がいい。例えば、参加しようとする、立ち上がりかける、しかし傘を開かずまた座る)
ウェンミンが去った場合は、去っていく方向を見送る。
それで、去り終わったら傘を閉じておしまい。(そのまま普通に去る。)


これをベースの演出にしておいて、あとは色々な兼ね合いで話し合ったり動いたりして決める。歩くところ。傘があって、お互い手を伸ばしても届かない。そしてその間を人が通る、そしたらまた分かれて歩く。など、そこのシーンの演出は考えてやってよい。

ウェンミン)「うまれなかった子供という解釈について、三つ持っています。ひとつはお母さんから生まれなかった。もうひとつは、本当は生まれた。だけどいつもお母さんの為とか社会の為とかそういうふうに生きていて、自分の為に生きていない子供。それと、成長すればするほど、自分を失っていく人。」
→このテキストでは、後者は発展させすぎ。このテキストのうまれなかった、というのは、お母さんのおなかのなかに入るよりも前。

<信さんのイメージ>
「すごくイノセンスなものは、それ自体が意味をもつのだろうか」というのがテキストのイメージ。これを戦争というテーマで考えたのが、「戦争は未来の子供たちの為、というが、この未来の子供たちってなんなんだろう。」と思ったから。イノセントだからって、なにか意味を持って影響をあたえるのだろうか?
だから、ウェンミンのいじわるなイノセントがとても気に入っている、悪意があっておもしろくて。生まれなかった子供が酔っぱらってる、それは後の表現でつけてもいい。ただそれだけやっちゃうと、三人との関係性が見えなくなっちゃうから、まずはしっかり見るところからやる。
三人はウェンミンのことは全く無視。だから、戦争とか災害がうわあ、うわあと動いていて、なにもなくなった。そのとき、子供のことを思い出して、ウェンミンをみる。ウェンミンをみたら、今度はこっちが見る人になる。それからウェンミンに影響される。
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チーム⑤【ラン、ヴィヴィアン、玉季、宇井】

・ここはエキストラをたくさん使う予定だったけれど、これはまだきめておらず、これから決めます。

選んだテーマは二番目の李さんのもの。
どうしてこれを選んだのかそれぞれ説明をお願いします。

ラン)李さんと話した時、これが一番理解できた。この主題は、「川底には一種の凶暴さが含まれている」この凶暴さを、僕は希望としてとらえました。

ヴィヴィアン)暗闇の中の光、というテーマに共感したからです。実際の今の自分の立ち位置が、まさにこれったからです。

玉季)すべていいなと思ったけど、この二つ目なら他のも入れ込めることができると思ったから。
人間にとって、暗闇の中の光、というテーマは誰でも持っていて。この暗闇と光の間の行き来が人間の生きるということだと思った。あとアーティストとして共感した。

宇井)李さんの説明がとても明確だったので、骨にできるとおもった。「暗闇の中の光」は他の二つに比べてとてもポジティブで、これにしようと思った。


ではテキストの中で「光」はなんですか?
花。(では花とは、いつの花だろう?場面によって全く意味が違うので選ぶ)
宇井:最初
ラン:下流から上流に流れてるのに出会った時の花
ヴィヴィアン:象の背中の花
玉季:全部だけど、どんどん強くなってくる。だから一番強いのは最後。

李さん最初のシーン)井戸の中の蛙。上に行こうとするのに、なにか力が働いている。それがなにかは明確ではない。
真ん中)井戸からとてもまぶしい光をみる。目つぶしされているくらい、だからその光がすごくすばらしいものかというと、何も見えない。
最後)はっきりは言っていない。ここで死んだかどうかはわからないけれど、川底へ落ちて、あらゆる方向から力が身体に作用してくる。だけど笑顔でニコニコしている。それは、光をみたから。光をみた代償。


<信さんイメージ>これは、僕たち芸術家について書いたお話。だから、この話の主人公は芸術家。表現をしようとする人。そして川で、川底から掬っているというのは生活。「沈んでいる者にしか価値がない」というのは真実だと思っている。これは一番貧しい人たちがやる、ひとつの職業。日本でも戦争がおわったすぐあとはいた。インドにはものすごくいる。特にインドでは、川辺で焼いた死体をそのまま流す。
川下から川上にながれてくるのは本来有り得ない。だけど、それを見るというのが、アーティストがアーティストになるきっかけ。有り得ないものを観る。
それで、向こうで少女を見る。この少女の解釈は色々できて、例えば自分の表現のミューズとか、癒しとか、疲れすぎてみてしまったものとか。そして、芸術家がそれに届くようになるには、自分が自分でないものになる必要がある。変わらなければならない。ただ、変わっても、川という現実があるわけだが、それでも最後はなにか幻のようなものがみえている。」
だけど、このストーリーを語る必要はあまりありません。


<チーム⑤演出ノート>
(はじまり)木の枝とか、ゴミみたいなものをひとり5個づつくらい。それを持って出てきて、この舞台にそれぞれ置くところから始まる。全部できたら、その空間のどこかに入る。そこで、普段の生活の何かをやる。石をカチカチあわせるとか、縫うとか、生活の為にやっている何かの動き。一つのことを延々とやっている、あまり説明しない。それから、2人が一緒に座っていてもいい。本を読んでいてもいいし。これをまず、相当長い時間やる。非常に退屈な日常。昨日は、脱出するまえの時間が短かった。自分がいやになる、お客さんも嫌になるくらい。
そのうちに、舞台上に置いてあるものの中の何かに、とても心を奪われてゆく。
(中)その物の場所になんとか進みたいが、いろいろな抵抗で思うように進めない。だけど、最後そこに到達して、物を持つ。持ったところで、いったん止まる。
ウェイウェイが花を持ってきてくれて、そこに置きます。そしてそれを見る。
(おわり)ここからがパフォーマーの選択。「物をそのまま使う」か「花を選ぶ」
そして、花を選ぶとそこが川になる。それぞれのイメージの川で、川上へ流れていく。(好きな場所へ)そしてどんどん弱っていって、沈んじゃう。でもニコニコしている。
物を選んだ人は、川に流される。ピアノの方に流されていって、どんどん弱っていって沈んでいく。こちらもニコニコしている。

問題は、いろんなことが起こるけれど、いわゆるインプロ演劇みたいにそこで劇を作りたいわけではない。あんまり説明的にしない。それよりも、自分の中で起こっていることを大切にしてあげる。
例えば、同じものに心がひかれちゃった場合、ここでドラマが生まれてもいい。だけど、あくまでリアクションで、作用によって動く自分の心の動きを重要視する。
もう一つ要素。できれば、5のテキストのどれかの言葉を覚えて(言葉でも、文章でも)しゃべる。どこで何を言うかは自分で考える。

二回のパフォーマンスを観ていると、みんな積極的で、抽象的なものをわかりやすくしすぎているかもしれない。演技が表面的。だから、主題をもっと深く自分と結び付けてください。
ゴミは沈んでほしいから、ある程度重さのあるもの。例えば、全部木の枝に統一するとかでも相談していい。
※変化を一斉にやらない。まわりにまかれず、自分のペースときっかけでやる。(もしかしたら最後までうごかないかもしれない)
場面は15分間。ただし、みんなが死んだら、それがきっかけになって次の場面にうつる。
(何故15分かというと、背景で日本語、英語、中国語の字幕が川の流れのように流れている。それが⒖分かかる)
・少し早めに終わった方がいいかもしれないが、そこのタイミングはまかせる
・歌を歌ってもいいが、歌う人にならないこと。
まずはあんまり発展させず、きっかけと自分のタイミングをじっくりつくる。(やるまえに少し思いつきすぎ)最初から決めるというのではなく、変わっていく身体を大切にする。アイディアは、それありきで。「いいパフォーマー(ずるいパフォーマー)は、ちゃんと演技しながら、周りをじっくりと観察して感じている。そして最後に、受けたものを出す。アクションやアイディアが先行しない。たくさんまわりに転がっているものを受信する」

※自分の中で、はりまり、中、おわりが一緒になってしまわないように。たとえば表現方法を変えてみる。生活の時はリアルに、求める時は抽象的に、最後はただセリフをしゃべり沈んでいく…など。
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チーム②【エミー、李、ガオレイ】
テキスト「ただひとり老婆だけが毎日夜明け前のひとときその音に耳を澄ます」
テーマ:心の中を流れている川に気づけない脅威。

この章にはメタファーが3つある。
・川の音
・老婆
・都会の中の舟
これらをどうとらえているのか。

老婆は母なる地球を表しています。最後地球がいなくなったけれど、あれは母なる地球がなくなっても、人類は生きてゆくという、割と冷たい関係性を表しています。老婆以外の2人は人類。
(地球が無くなっても人類はいきていける?)というよりは、この地球は抽象的なものをあらわしています。

昨日の発表をみて、あまりにも抽象的にしすぎている。そして、母なる地球が滅びて人類が苦しむというのは、あんまりにも一般的。
解釈が抜けているのが、「これは都会の詩である」という解釈が抜けている。「都市の中に舟がある」というメタファー。例えば、まったく海のない森の中に舟がある、とか群衆の中にある舟とか、それぞれのイメージは大きく変わる。そのイメージが足りていなかった。
舟に住んでいる老婆は、私たちはしょっちゅう都会で目にしている存在。そんなに抽象的なものではない。だけど、都会の人たちはそのことに気が付かない。ある日その人はいなくなる、でもそれに誰も気が付かない。その人のことをもっと思い浮かべる。
老婆と存在が近いのは、自分たちかもしれない。みんな一生懸命自分の舟をつくって、そこで暮らしている。そこでは人の川の音がとても聞こえて、多くの影響を受けている。
他人と出会ったときに、相手をどう解釈するか。
つまり、都会の中に舟があり、その中にいる老婆、というのは全く他人。
他人を解釈するときにかけているのは、その人は自分だと思うこと。そうしないと「ある日いなくなる」いなくなるのがどうしてなのか永遠にわからない。

・昨日のプラン
はじまり)地球があって、後ろに川の音が聞こえてきます。その前を携帯を打ちながら人々が歩いています。
ここから、地球をとりましょう。「わたしのまわりを、人々が携帯を打ちながら歩いている」
そして問題は携帯を打ちながら歩いているというところ。
どうして携帯なのか?「(李)人々は現実よりもシュミレーションの世界で生きているから。自分のみせたい姿を選択してみせられる」
※このテキストで問題なのは「老婆を出すか出さないか」そしていたとしてもいなかったとしても、それを表すには三人では人数が少ない。
※携帯の光に人が浮かび上がる。何かしているところを、どこかに向かって歩くということで表す。没頭している人々の像。
中)老婆(地球)のまわりを人間がまわっている。
最後)原始の場面がまた出てきて、人は魚になって泳ぎおわる。


最後、魚になるというのはとてもおもしろいと思う。自分では気づいていないんだけど、いつのまにか川の流れの中で泳いでいる。気づかないうちにみんな魚になって街を泳いでいる。川の流れの魚のようにながされる自分達。つまり、自分の本当の姿を知らない。老婆は自分の本当の姿を知っている。街とかどんどん発展しているように見えるけど、それは川の流れのようなものである。
老婆を自分だと考えて、もう少し議論をしてみる。そして老婆(自分)にとっての舟は何か考えてみる。劇場かもしれないし、家かもしれない。


<チーム②演出ノート>

はじまり歌をやりましょう。そのときに、舟をこいでいるパフォーマンスをする。ピアノを弾いている人、歌うひと、舟をこぐ人はそれぞれそれだけをやる。
それでそのシーンはおしまい。次につなげなくてもいい。

次、携帯をだして、どこかに立つ。携帯をつける。暗くする。しばらくその携帯を見つめている。ここではそれぞれ本当に携帯を使いましょう。ゆっくり動き始める。その時なにをうるかは任せるけど、余計なことはしない。たくさんの人達が同じように歩く。

エミーだけが、みんなが動いているなかで止まる。みんなの様子を見る。携帯を舟のところに置く。そして、昨日着ていたグレーの上着を着て、タオルをリノの上に敷く。
そして仮面をつけて、タオルの中に入って、老婆になる。つまり、老婆は突然やってきた存在ではなくて、この人達の中から生まれた存在。老婆ができたら、エキストラ去る。
そしたらば、あとの2人はこの老婆のまわりを歩く動きをする。エミーには、みんなの川の流れの音が聞こえてくる。そのとき、能の動きにするかどうするかは自由。ただ、携帯を見ている人間の感情、あるいは携帯の内容を表す、なんにせよ理由のある動きにする。
2人が絡んでもいい。

最後、魚になるのではなくて、それぞれの川を見つける。そこで舟に乗る。そこで舟を漕ぐ。
そしたら、エミーは選択する。「舟にくわわる」仮面をはずして、漕ぎ出す。
「おばあさんのままでいる」立ち上がって、舟を持って去る。

松島さんや啓子さんや能で学んだことを参考にしてみるといい。ただ勝手にやらずに、相談してやる。歌のシーンを最初にするか、最後にするか相談する。
エミーはピアノの近くで歌った方がいい。
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チーム④【ジェンファ、ウェイウェイ、ダレン】

選んだテーマ
二番目のテーマ「希望」
ゾンファ)「私は動作で選びました。説明が一番よくわかったのがこれでしたし、他の人達の要素も入れられるとおもったので」
ダレン)「この動きは曲線を表していて、水を表せると思った。」

大体のベースはあれでいいと思った。ただ、決まりすぎて、二回目の動きがなぞっているように見えた。また、緊張感が途切れてしまったところがあった。

劇中でしゃべっていたのは歌。「大きな川の水は東の方に流れていく。」という歌詞。それをどういうふうに歌うか。歌詞に共感して歌うのか、からかって歌うのか。
ダレン)「テーマが希望なので、誰もが希望を求めているという意味で歌いました。希望を探すときに、身体でも探すし声でも探す。」
ジェンファ)「特に何も考えないで歌っているんですが、その時の自分の身体の状態から出てくるかんじで歌っている」
ウェイウェイ)「割と静かな場面がつづくので、それを夜と位置づけ、声をだすことによって夜明けを表し希望を見つけたという表現でうたっている」

本当に希望として歌うのか?皮肉に取り扱うのか?これはどちらを選択しても構わない。
歌の効果には二つある。一つはミュージカルのようにその場面を印象強くするため。もうひとつはブレヒトのように、歌う時は役から離れ、別の次元を差しはさんで中断し、説明するために歌う。

それから、ステージがかわったので、動きがかわると思うので詰める。
それから、上半身だけの動きの場面と全身を使う場面を自分の中ではっきり区別する。(見せ方というよりも自分の中で)

またパフォーマンス中は、後ろの壁に詩が川のように流れている映像を映します。ここでは、その言葉を発生する人がプラスされます。(パフォーマンスには直接かかわらないけど。ずっと朗読するわけでもない。)パフォーマンスがとても完成されていたから、なにか壊すものを入れたかった。
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チーム①【田村、シュウロウ、ドリーン、ヤグニャ】

選んだのは4番目
テキスト「神聖なる川よ」
テーマ:舟とは?

田村)「川を挟んだ人々との対話について、全然違う文化が出会ったとき、まじりあうのか、塗り替えるのか、争いがおきるのか、どうなるのかをお客さんに託したいと思った。それが今の日本ととても共通していると思った。」
ドリーン)「4番目の主題の意味は、コミュニケーションの手段はなんだろうか、ということだと思う。コミュニケーションの手段がないゆえに争いが起きるのだと思った。そしてコミュニケーションの手段は言葉だけではないと思った。」
シュウロウ)「ランジェンフェが図解を書いて説明してくれた時、とてもリアルに主題や構造が自分に迫ってきた。両方の人々は祈ってるには祈っている。気持ちはあるのに真ん中を行き来する舟がない、それは何故なのかということを考えました。このテキストの中では舟がないからコミュニケーションがとれない、と書いてありますが、果たして舟があったとしてもとったのだろうか?」
ヤグニャ)「コミュニケーションの手段は沢山あるのに使い方を間違っている。あるのにミスコミュニケーション、それがとても興味深い。舟があるのに人が使わない。それを使って平和にするとかをしないのがおもしろいと思った」


3つの場面について、どんな場面を考えたか。
はじめ)片方の岸が楽しい、片方の岸が恐ろしい。お互いが、それぞれ自立して対比している」
中)ハッピーな方がこの気持ちを伝えようとする。しかし、恐れのほうは拒絶する。
おわり)結局なにも変わらずに、対比の存在としている。ただし、ハッピーな方は「自分たちの土地に戻りたい」と祈り、恐れている方は「もうなにも変化がおこってほしくない」と祈る。祈りの意味は違うが、どちらも川に祈っている。


話を聞いていると、すこしテキストから離れていってしまっている。
テキストでは、両方が両方を恐れている。
片方は、自分達がそこを捨てて旅立ち向こう岸にいった罪を恐れている。舟があっても出すことができない。向こうにいったら、土地を捨てた罰を与えられると思っているから、舟がだせない。「自分で行きたいけど、行ってはいけないと決めている」
片方は、向こう側が恐ろしい人々だという恐れを抱いている。攻撃を恐れているから、舟がとても恐ろしい。
コミュニケーションの恐ろしいところは、親切に出した手自体が相手にとって恐ろしいものであったり、手を出すことが恐ろしくて躊躇する(出したいけど資格がないと思ってしまう)こと。つまり、片っぽがなんとかすればなんとかなると思うのは違う。

昨日のパフォーマンスで面白いと思ったものは、情報の川が恐れを呼んでいるということ。
たとえばヘイトの写真で「日本人お断り」の文字を見た時、日本人は反発するか?おそらく、反発よりも恐れが勝つ。差別の恐ろしいところは、相手を恐れさせること。
そして逆にいうと、こういうことをする人達の動機も、実は恐れである。
エドワード・ボンド「戦争の原因は怒りだ。だけど、怒りの本当の原因は恐れだ」両方の恐れがエスカレートしていくことが恐ろしい。
行為と、行為を写真にとる、というのは全くの別行為。そして、この写真をネットにあげるというのもまた別の行為。実際は10人くらいの人の恐れが、ネットで拡散され、韓国の代表のようにみせている。
また、黄色人、黒人の恰好をした写真では。自分と違うものを真似している。そのとき、笑いと結びついてしまう。それはとても表面的で、相手に深く入れなくなる、見えなくなる。
と言っておきながら、結婚したい相手ランキングは外国人。そして、こういう何の意味もない統計をとること自体。この統計に、自分はどこにもいない。

ネットはとても便利だけれど、そこにはゴミばかりがある。
ヤグニャ)「今の時代に生きていて、情報とかイメージの過多の時代に生きている。ただ、こういう分断というのは新しい事でもなんでもないが、今の時代の問題は、自分にとっていい情報で周りを固める事が可能であるという事。例えば、トランプ大統領が当選したとき、自分は日本にいたが、そのとき情報の流れが見えてとても興味深かった。自分のFBは当選にびっくりしていたが、それは反対派で自分の周りを固めているから実際のところが見えていなかった。これが南部の人達の間の反応であったら、だれも驚いていない。」
ではこの情報をつかって、何を表したいのか?)
「恐れや誤解が鍵として絶対にあるだろうということは思っていた。その恐れ、誤解、という点で、このヘイトの情報は共通していると思ったので使った」

・2つの岸がある
2つに分かれるまえ、みんなが一緒だったのはよかった。つまり、もともと違う2つのもの、というわけではなく、本来は同じものが二つにわかれてしまったという解釈はいいと思う。


<チーム①演出ノート>
はじまり)・開始の位置は即興だと難しいからよく決めておく。プロローグがおわったあと、去らずに定位置へいく。そこから移動して、前回の通り4人が一つになって円になり内向きでうずくまっている。そこからどんどんと立ち上がる。能のすり足をつかって、跡をつけるように音を出しながら歩く。相手と出会ったら、ジャンプする。(コンタクトしっかりとっておく。着地は静かに)映像が後ろにながれているから、それをちゃんと意識する。
・まわりながら、川の音だす。そして、4人はふたつにわかれる(ヤグニャ、田村)(ドリーン、シュウロウ)見つめ合って、だんだん恐れがうまれるまで。
・そのうちにエキストラがヘイトの紙を客席にみせて、その紙で川を2つの間(段差のところ)に作る。

中)・並べ終わったら、自分の紙を出して、客席に向いて読み上げる。お互いの内容をシェアしあって、全員がみんなの言葉を自分の言葉で言えるようにする。それがおわったらできるだけ近づいて、この言葉を相手に届けようとする。相手に向かって紙を投げる。川の向こうまで投げ入れる、でもすべて床に落ちてしまう。

おわり)・床には落ちた紙。ひとり二枚ひろう。そしたら、その紙を置く場所を決める。それぞれがそれぞれの方法で、その紙を拝む(それぞれが知っていて、自分がやる拝み方。パフォーマンスではなくて、本当にやっていい。ただ、人に見せるため、聞かせるためじゃない)祈るのは、恐れを鎮めるため。
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●インフォメーション
今日はこのあと1番最初のシーンを練習。
それから夕飯、そのあと7:15分にはもう一度ここに戻ってくる。


●プロローグ練習
自分でつくった舟をイメージして実際は持たない。順番は決まっていない。(待ち方は、階段の方に広がる)続々と舟をもって入ってくる。
入る前は、ただ普通に立っている。前の人が言ったら普通に入ってきて、自分のコースのところへ行く。コースについたら、舟を持つ。そして、パネルに到達するまでは、まっすぐのラインでくる(斜めはNG)ついたら、パネルにそって歩いていい。(もちろんぶつかっちゃうなとかは臨機応変に)
少しゆっくりすぎる。もうすこしスピードアップで。(能の訓練やりすぎたって思われるよ)
本番は、途中の出入りなどはガラスの入口、階段の入口つかえます。

●歌(約3分)
中国語、英語、日本語、みんなで、の順番。
中国語:李さんの声を中心に。他の人はすこし声をおさえる(そのかわり子音をはっきり)
英語:李さんハーモニー。声量ほしいから全員歌う。
日本語:李さんハーモニー。レガートやさしく歌う。
みんなで:李さん混じる。

●舟からのヘイトシーン
ヘイトの紙はあくまでゴミだから、そんなにきちっとしない。ただリノの上にのせてはダメ。
人はパフォーマンスをしないように。ペーパーがオブジェクトパペット
・ばらばらに出たいので、最初の方に入ってきた人は後に回るとか、意識的に順番変えて。
・パネルのうしろに行く動きがとても重要。
・台の上を歩く人は音にすごく注意する
・舟動かしている人、呼吸して。呼吸を意識する。



●インフォメーション
今日は短時間で進めましたが、昨日みた感想をいうかわりに具体的に提案をしたつもりです。だから演出で決めたわけではありません。
ただ常に観客にどうみせる、かを意識すること、その仕方をみなさんと共有しました。
演出家によってやり方は色々あれど、今回の場合は「足してゆく」つまりどんどん挑戦する。そして、リハーサルのときは余計なものを削ってゆく作業にしたいと思っております、いろいろと試してみてください。

あしたは10時にスタジオ集合。少しだけウォーミングアップ。
テクニカルスタッフが二人くるので紹介します。
午前終わったあと照明などが入ります。(何人か背の高い人手伝ってもらう)
飯名さんが来てくれました!字幕もつくってくれました。
本番、映像は吉本さんがとってくれます。

2018/9/12 十四日目の記録【波止場のワークショップ】

2018/9/12 この日は信さんによる創作へ向けてのワークショップを行いました。午前中は各自、課題で作った舟のオブジェをつかってワークショップを行いました。午後は、前回決めたチームでつくってきたシーンを発表し、より具体的に創作を進めて行きました。2018年9月12日 【信さんWS】 ●エキストラを決めるくじ引き。  エミーチーム:希望人数4人(シュウロウ、丹澤、ドリーン、ウェイウェイ)  ヤグニャチーム:希望人数3人(エミー、ダレン、ジェンファ) 午前中はエキストラを入れての創作、昨日のブラッシュアップをする。 午後は舟の演出についてのWS。その後発表をする。 13時30分スタジオで舟をつかったWS ●オブジェクトパペット オブジェの扱い。 これから舟をあつかうけど、例えばどこを持つかどこを見せるのか、どういう性格なのかよくオブジェをながめる。 自分がオブジェを使うのではなくて、そのオブジェの性格を把握してやること。 コントロールするときに、舟から目を離さないように。そして舟と自分が同化してきたと思ったら、行先を一緒に見る。意識を共有してあげる。 色々試して舟の個性を探ってみる。 舟をお客さんにどうみせるのか、自分がどう舟をみているか。 一人ずつ部屋の端から端へ。空間を意識(これは川とか海とかそういうものを想像するというわけではない)大きい舟から発表。 ☆まず最初は舟を使わない。あるつもりで ☆次に舟をつかって二分間、端まで行く ・李:もちあげたとき、もっと上を見てあげる。屋根の上がとても大切。 ・ガオレイ:(舟やっぱり1分間に)最初はとてもよかった。このディテールが効果的だった。ただ、一生懸命やっていたけれど、あの人形に視点を合わせるのが難しかった。   ・ウェイウェイ:途中で一回音楽が変わる。じっくりと押していく。 ・シュウロウ:もし今のパフォーマンスに何かを付け加えるなら、考え方の例として、中の人が窓をしめているという風にするのより外から自分が閉めて、閉められた舟がどう動くのか。あと最後のおき方が雑だった。落とす場所まで持ってきて、止まって、ぽとりと落としてあげてもいい。 ・ダレン:しばらくその場から歩きださずに、じっくりと舟を揺らしている。 ・エミー:最後、ひっくり返す直前を、もう少しゆっくりとやってあげる。一回止めて、ひっくり返す。そうじゃないと、舟がエミーの扱う物になってしまう。 ・ドリーン:腕を丸くして抱えるように運んでいく。最後は床に置いて、前から引っ張る。 ・宇井:二回目の舟あり、とても民族的な音楽にかわる。 ・ラン:初めから民族チックな音楽。エンジンをかけているのか、舟を時々小刻みに震えさせてる。 ・ウェンミン:舟を、片腕にのせて進む。舟をつまんで腕から垂らす。それをつっついてみたりして、床に置いて去る。 ・丹澤:まっすぐ持って進んでいく ・玉季:窓からスタート。舟と舟の屋根の隙間からそとの光を覗いているみたい。 ・ヤグニャ:足で舟を動かしている。息を吹きかけたりしている。 おもしろかったけれど、オブジェクトパペットではなかった。舟の動きを探りたいなら手でやった方がより可能性がある。さがすという事をする。便利に使わないように。演劇と違って、即興をやるときはもっと敏感でないといけない。 ・ダンルオ:目をつぶって、呼吸をはっきりつかいながら進んでいく。途中でやめる。 今やめたのは方向を見つけられなかったから。それは正しい判断だと思う。本番もそうしていい。 ・ブレンドン:繊細でよかったけれど、舟と人が近すぎて「舟を運ぶ人」になってしまっていた。少し持ち手を端にして、力をもっと緩める。人と物が一緒になると人形芝居になってしまう。そうすると、やはり人の存在感の方が強くなってしまう。 ジェンファ:舟を肩に乗せている。左手の指をくわえている。 一見すると、これはパフォーマンスに見えるかもしれないが、これはヤグニャやブレンドンとはなにが違うのか。1つは人間がコントロールしていない。もう1つは左手が明確なフィクションでとても考えられている。肩で支えている舟、これが一番大事だという考えられたフィクション。肩に置いたことでつよく舟の存在がでた。 ヴィヴィアン:舟がないとき、一回空中で舟が消えた。舟ありのとき、最後ポトリと落ちて終わった。 田村:一番小さな舟。片手にもって、歩きながらその手と自分の距離をどんどん離していく。 <シャオイ・コメント> 小さな舟が特におもしろかった。これは舟ありと舟なしと2段階でやっているが、これら2つは全然別物。舟があるときは、自分と身体があって、舟があって、この間の距離があって、と3つの作業が必要。 小さな舟は運ぶのは簡単だが、存在も小さく、舟の声を聴こうとしてもやはり人間の存在が強い。 本番、自分のつくった舟を扱えるのはプロローグで舟を持たないとき。エピローグでは他人の舟を持ちます。(15日、16日で舟はかわります) 午後:チーム創作 チーム①【ヤグニャ、ドリーン、シュウロウ、田村】 9:09:99 四人が円になってうずくまっている。脱力。どんどん身体をあげて散る。 能の足をつかったすり足で跡をつけるように音を出して歩く。人とであったらジャンプ。 ヘイトの紙が長い川のように繋げられて端と端をもってバサバサする。 メモをとりだし、客席に向かって読み上げる。 ヤグニャ.田村とシュウロウ.ドリーンにわかれる。 みんなで何かを祈りだす。 信さん「空間を意識する。例えば位置を偏ってみる。ぎゅっとしてみる、パネルだって使える。部屋の白のところから、赤のところへいってみる、など」 シャオイ「舟のときより空間への意識がない。」 チーム②【李、ガオレイ、エミー】10:11:87 李ピアノ、ガオレイ体操座り、エミー器に水を入れて歌う。 エミー上着をはおる。他2人エミーの周りをぐるぐるまわる。太極拳みたいな動きでスマホやパソコンをしてる。中心から移動しようとするエミーを引っ張り戻すと3人とも倒れる。李、よみがえると魚のように動いてピアノを弾く。エミーとガオレイも魚のように泳ぐ。 チーム③【ブレンドン、ウェンミン、丹澤、ダンルオ】9:47:72 ウェンミン板付き。洗濯ばさみのついた白い布を被って、ストローでアサヒビールを飲む ブレンドン、出てきてぐーちょきぱー(英語)を歌う。丹澤も出てきて同じく歌う(日本語)。客席に沿って対をあるいている。ダンルオ、パネルからでてくる。 傘を開いたまま3人がウェンミンのまわりをまわる。ウェンミン、相手にきりふきで水をかける。バケツのなかに、急須から水を入れる。 傘をひらいたまま、みんなでおしくらまんじゅうをする。 チーム④【ジェンファ、ウェイウェイ、ダレン】8:04:76 各々それぞれのところから出てくる。ウェイウェイは赤いところに座っている。 ゾンファとダレン、お互いに動きながら、出会う。 ウェイウェイ入ってくる。 3人出会って横一列になる、顔が並んでいる。上下して顔の高さをすばやく変える。 3人喋りだす。歌「大きな川の水は東の方に流れていく」という意味。 チーム⑤【ランジェンフェ、ヴィヴィアン、宇井、玉季】12:58:05 玉季ティッシュを肩に乗せて踊っている。ティッシュをちぎっているランジェンフェ。 宇井が歩いてティッシュをばらまく。 ヴィヴィアン、ティッシュを食べる。ピアノを弾く。 ティッシュの取り合いになるランジェンフェと玉季。ピアノを弾こうとするヴィイヴァンと邪魔しようとする宇井。バナナロールをしながら、みんながひとつの山みたいに積みあがる。 みんな物が多すぎるかもしれない。物は最後に出てくる舟だけでいい、くらいに思っている。 最初のヘイトの紙も長くする必要はない。 あした、感想のかわりに具体的な提案をする。 ●リノリウム カッター使うから気を付ける。 掃除をしながら、岡島さんセンターラインを計算している。赤い線をつける。 真ん中の部分、赤線の上にクリアテープを貼る(消えないように) そこから半分ずつ白リノリウムを敷く。 ※赤の床合わせでリノを敷く。斜めだったので、下敷きいに板をひいて切る。 右利きは左で押さえて右でカットしないと危ない 「一寸二寸大道具」 カットしたらクリアテープを貼る。 名物のリノずらしは汚れるからやらず、端から引っ張る。 リノの側、クリテ貼る。 リノとリノの間をあけるのは、ゴムはのびるから。そうするとお互いぶつかってそこのところが盛り上がってしまう。本来はボンドでとめるけど、今回はクリテで仮止めなのでのびやすい。

2018/9/11 十三日目の記録【波止場のワークショップ】

2018/9/11 この日は午前中は信さんによる創作へ向けてのワークショップ、午後は清水寛二さんによる能のワークショップをしました。# 0911 信さんWS 記録 ・ヤグニャによるウォームアップ  ・2・8カウントに合わせて四肢のストレッチ  ・巨大なガムを口に突っ込む。それを噛んで顔を動かす  ・ガムを手に吐き出したら取れなくなってしまう。それを取る方法を探し    て身体中を使うが、触ると今度はそこにくっつくので、また取り方を考    えないといけない。  ・ペアに分かれる。お互いの身体の痛いところをシェア。マッサージ。  ・最後、全員立ち上がって、歩き回る。目が合った人ににっこり笑って朝   の挨拶をする。 ・くじ引き。1つ〜5つのりんごが描いてある。1つの人と5つの人でじゃんけんして、勝った方が最初が良いか、最後が良いか選ぶ。ダレンチームがりんご1つ。じゃんけんに勝って最初を選ぶ。 ・15分打ち合わせ。稽古場のなかで観客にどう居てほしいかを話し合う時間。最初のダレン班は劇場使用なので、15分の終わりにそこへ再集合。 ・各自作業になったところで、もりめしのアナウンス(山田) 【ダレン、ジェンファ、ウェイウェイ】 ・1Fの舞台で。 ・ジェンファ、ダレン、時間差で入場し、同じ動きをずれて繰り返す。時々揃う。 ・赤エリアでピアノ椅子に座っていたweiweiがゆっくりと歩いて入場。ダレンとジェンファは接触し、お互いの体重を使ってシンメトリーに動いている。 ・3人ともが、ゆっくりと歩き始める。並んだところから、輪唱が始まる。「泉の水が落ちてくる」というような意味らしい。そのまま、それぞれゆったりとした動きで動き始める。 ・止まって「言わざる」のポーズ。三人の目が合う。集まると見せて、全員バラバラに離れていく。 【宇井さん、ラン、ルイジャオ、玉希】 ・2F稽古場。舞台上にバラバラとボール、傘、木の枝、豚骨など。 ・観客は窓鏡側の角から、斜めのラインで見る。 ・一人ずつ出てきて、モノと戯れる。木の音を聞く。豚骨の匂いを嗅ぐ。傘に頬を擦り付ける。ボールをこすって音を出す。 ・ボールペンをカチカチし続けるラン。ボールで遊ぶたまき。一人ずつ、ある特定のモノに集中していき、それがゆっくりと終息。 ・ルイジャオ、ピアノへ。なんだっけ、この曲。ビデオ撮ったのでそれ参照。 ・宇井さんが椅子を奪い、弾くのを邪魔しようとする。弾こうとするルイジャオとの戦い。 ・たまき、ランは、ゆっくりとした動きの反復。 ・ピアノ、一音ずつ宇井さんが弾く。ランが小さな舟を持ってきて、水平に泳がせる。たまきさんのボールに接近。青いボール、水?たまきさんが舟を受け取る。舟を持ったままゆっくりと寝転ぶたまきさん。ラン、ルイジャオ、ういさんも、それぞれゆっくりと寝転び、停止。 【李、エミー、ガオレイ】 ・真ん中だけ空けて、好きな方向見て座る。 ・李さん、ピアノへ。なんか、中国のポップソング?の弾き語り。李さんはらららで、エミーが真ん中に立ち上がって中英日で歌う。レイが、真ん中少しピアノ寄りに座っていて、舟を漕ぐ動き。頭に、後ろ向きにコメディアマスクをつけている。 ・歌が終わると、李さんはすり足で部屋の中を歩行。レイはPCスマホをいじるような動きしながら、ゆっくりと歩き回る。エミーは、羽織?をまとって、中央で踊る。エミーの動きがエスカレートするのに呼応して、二人の歩行もうるさくなっていく。エミーが倒れると、レイと李、静止。 ・へへへへ!と悪そうに二人が笑って、レイがなんか、やたら壮大な音楽をかける。オペラ風味なのが、なんかデジタルな感じのリズムトラックになっていく。ヒーローショーっおい音楽。 ・李とレイが、なんか、「いわゆるかっこいい動き」みたいなのをずっとやっている。擬闘とか。李は明らかにふざけている。顔芸。 ・音楽が終わり、三人がゆっくり倒れる。 ・李さんが立ち上がり、また動き始める。そして、再びピアノへ。 ・なんか爽やかな音楽が鳴り響くなか、一人ずつ観客を立たせていくエミー。手を鳥のようにふわふわと動かす。一人目のたまきさんが戸惑いながらも真似をしたので、全員それに続く。 ・曲が終わったところで 【ウェンミン、美緒、ダンルオ、ブレンドン】 ・美緒、ダンルオ、ブレンドンは傘持って壁際に。 ・真ん中で、傘の中に寝転ぶウェンミン。バケツと小さなヤカン、金麦がある。 ・傘を開いた三人が「ぐーちょきぱーで何つくろう」の歌を中国語、ブレンドンは何語だ?美緒は日本語で歌うなか、金麦をぱかっとやって、乳飲み子のように飲み出す文明。 ・雨がどう、みたいなポップソングを歌うブレンドン。傘を回す。文明はそっちを見ながら金麦を飲んでる。 ・歌が終わると、三人、傘をバサバサ、いろいろな方向へ開く。 ・三人、傘をたたんで、それで擬闘。傘を引っ掛けたりしてコンタクトインプロ。 ・起き上がる文明。ヤカンの中の水をバケツに注ぐ。すごい高い所から。 ・残りの3人は、傘をたたみながらゆっくりと床へ。 ・何つくろー、の歌を文明が歌う。 ・水が注ぎ終わるのに合わせ、三人が傘の持ち手を引っ掛け、グルグル回る。中央のところで、ゆるゆる踊る文明。引き合う力が激しくなっていき、文明はバケツとヤカン持って歌いながら信さんの部屋へ退場。 ・三人「階段を上ったものはいなかった」の部分をそれぞれの言語で 【ヤグニャ、田村、シューロー、ドリーン】 ・1F劇場で。中央にダンボールを4方向から丸めた、舟? ・そこにしゃがみ込んでいる所からゆっくりと後退し、全員すり足?のような感じで歩き始める。向かい合わせんになると、止まってジャンプ。 ・各国のヘイトスピーチやレイシストデモの写真やテクストを印刷した紙を、つなぎ合わせた帯が2つ登場。田村ヤグにゃ、シューロードリーんでそれぞれ、それをぱたぱたとひらめかせながら、会場を旋回する。中央の舟から舞台を斜めに分断する線を作るように、コピーが置かれる。 ・「外国の人にまつわる差別的な言葉」が(少なくとも日本語と英語)では読み上げられる。それを書いた紙を丸めて、舟の中へ捨てる。 ・抱き合って大はしゃぎの田村ヤグニャ。線の向こう側から、冷ややかに見つめるドリーンとシューロー。 ・踏み込もうとする田村ヤグニャ。それを足音や手を叩いて威嚇し、追い返すシューローとドリーン。 ・課題:一人一個ずつ、今日作ったパフォーマンスにアイデアを追加する。それを明日の午前中でやる。 ・くじ引き。各班、2枚ずつくじを引く。そこにはこれまでWSに来た講師の名前。その講師の人に教わった事を、アイデアとして足す。言い換えれば、その人だったらこのパフォーマンスをどう見るか?という事を考えながらアイデアを足す。 午後13;30~ 【清水寛二さんWS】 ●エリックサティの音楽にあわせての能の舞を見せてくれる。 ●隅田川 中国では、柳の木は死の象徴とされている。(中国メンバー的には、松の木の方が、魂の象徴としてポピュラーであるらしい) 例えば中国の「昭君(しょうくん)」という話では、親和策の為に将軍のもとへ送られる昭君は、自分が死んだら柳の木を植えてくれと、嘆き悲しむ父と母に言い残して家を出た。その後、柳の木が枯れたので昭君になにかがあったのではと思うと、彼女は将軍に殺されていた。 隅田川では、子供のお墓の柳の木が花を咲かせる頃に、母親はそのお墓に対面する。 母親や船頭などの人々がお墓に向かって「南無阿弥陀仏」と唱える。 すると、お墓の中から子供の声で「南無阿弥陀仏」という声が聞こえる。 (ここでは本物の子供が出てきて、幽霊役だけど精一杯声を出させる。出番まで木の中でジッとしている。子供は面をつけていない) そして子供の幽霊がふっと出てくる。母親がそれに気が付いて捕まえようとすると、子供は母の腕の間をすり抜けて消えてしまう。それで母親が泣いていると、振り向いた先に子供がもう一度出てきてくれる。母親は気が付いて子供を触りに行こうとするけれど、やはり子供は消えてしまう。あとには柳の木とお墓だけ。 ・エミーが子供役でやってみる。母親がきたら、2歩ですり抜ける。この時腕は揺れない。 母親が左手を顔に持っていきなく動作をする。そして振り返った時に後ろにいるようにする。そしてまたすり抜ける。船頭、旅人はきょろきょろしない、現実的に見るのではなくて見えてるのでまっすぐ前を向いて動かない。一緒にいることが大切。 母親は退場し、見ていた船頭、旅人も去る。墓も持ち運べるものなので、「後見」という人が一人後から持ち帰る。子供は中に隠れながら一緒に退場。 子供は劇中では12歳だけれど、変声期前の子供なので大体6,7歳 ●各帯 各帯という帯を腰に巻いてみる。この巻いた状態で、歩いてみる。部屋の四隅+斜め。 身体が痛いのは、力が入っている。筋肉でやるんじゃなくて、骨格をそこにもっていってやる。 ●能面を見せてくれる 母の面)「曲見(シャクミ)」という面。 増女)面の名前は「エツ」マリア様や楊貴妃に使った。物語中の高貴な人の役で、300年はたっている。 おじいさん)歳をとった神様。「茗荷悪尉(みょうがあくじょう)」目がミョウガの形をしているから。悪尉は強い老人の意味。少し大陸系の神様。コンテンポラリーの能で、一石千人「アインストーン(アインシュタイン)」役をやった。 能の動きにはよく相対性理論が言われる。本来すごく速いスピードで速く出るところで、ゆっくり出てくる時もある。稽古の時に言われるのは、飛行機はすごく速いけどゆっくり見える。演技の心得も、早く動くときこそ落ち着いて演技し、ゆっくり動くときは心の中はとても早く動いている。 ソマリアの女)新しい面。目の形、二重、まゆげ、鼻が高い、歯が白、と西洋風。白い歯がとても生々しい。 ・ランジェンフェ、翁の面をつける 面の当たるところ「お当たり」という。締めてゆく「お締まり」 面をつけてセリフをしゃべってみる。「さむるとおもえば~…」 面を外すときは、面を抑えて上を向いて、汗が面につかないようにとる。 感想)怖い。習ったのにセリフも動きも出来なくて、面に対して申し訳ない。前回つけたときよりも、色々勉強したからなのか、面からのエネルギーのようなものが自分に入ってくる感覚があって、でもうまくできなかったからとても怒られている気がして怖いし、胸が気持ち悪い。 清水さん)能楽師でも、面をつけているとき怖い。それは視界が狭いとか暗いとかではない。何か、自分の中身のすべてのことが他人に見られている感覚がする。 面の香りは漢方薬かなにかですか?→防虫剤のお香の香り ・ドリーン 面をつける時は顎をだす。顔が全て隠れると、とても奇妙。 面が正面を向く角度で泣く動作をしてみる。力を入れると、そこが周りから見えてしまう。 手で泣いているが、実は身体全体を使っていて、角度とかそういうものすべてで表している。 ●隅田川をやってみる (母親役)李 (子供)玉季 (船頭)ヴィヴィアン (旅人)ガオレイ  (墓)ダンルオ、ブレンドン オーディエンスは川の流れ。 ●清水さん 「今日は、時間を共有できてよかった。最後、みんな(WSメンバー)の幸せを願って「猩々」を舞います。扇を差し出しているのはお酒をすすめているところだからいっぱい飲んでください。扇で顔をかくしたら寝ている動作。ここから、前回やった「さむるとおもえば~」に入るので、みんなも一緒に歌ってみてください。」 最後私たちのために猩々を舞ってくれる。 (ビールの差し入れをたくさんいただきました!!)

2018/9/10 十二日目の記録【波止場のワークショップ】

2018/9/10。本日より、作品創作へ向けて最終セッションに入りました。オブザーバー、アドバイザーとして、りゅうさんが参加してくださいました。午前10時スタジオ 【信さんWSクラス】 りゅうさんの紹介 オブザーバー、アドバイザーとして参加して下さる。 本日より最後のセッションに入ります。 最初の3日間は、荒くつくって、そこからブラッシュアップしていこうと思います。 紙の台本は、音響さん照明さんへのきっかけくらいで、作りません。 基本的には即興。 自分のできること、やりたいことは非常に重要なことなので盛り込む。 ピアノは置きます。 ・今日のメニュー 午前中のセッションをしたあとは、午後は劇場作り。舞台技術のWS。 若葉町ウォーフの岡島さんがやってくださる。 リノリウムの敷き方、ステージデッキのつくりかたなど。 今晩は森飯です‼!!食べたい方はひとり500円 川口さんが手伝ってくださいます。 ・本日のウォームアップ 当番:ダレン まずは深呼吸で身体をのばす。深呼吸したら、五回に分けて落ちていく。 上半身をだらんとして、ぶらぶらしたあと、左右の足につかまって伸びる。 前モモをのばすポーズをキープ左右。そしてリラックスして脱力。 ミャーオ!猫ゲーム。猫は「ミャーオ!」といって、追いかける。追いかけられた人は、「誰々!」と誰かの名前を呼ぶ。そうすると、今度は名前を呼ばれた人が猫になる。ぱっぱっぱっと交代していく。タッチされたら抜ける。 ・セッション いまからまず自分たちのグループで、前に書いた模造紙を見返して、作品について整理と確認をする。ここでは言語の問題があるので、全員が100%コミュニケーションを理解することを重要視しない。あんまりディープな話をこの時点でしない。 考えてきた、「はじめ、中、おわり」についても、やってみる必要はないが、考えておく。 10分間、グループでセッション。 ・セッション後、自分達の紙を次は別グループに渡してあげる。紙をもらった別グループが、その作品を上演する。その説明をしてあげる。 意見 「お互いの存在を知りながらも、決して交わることがない人々の関係を哀しいと思った。イメージとしては、赤の人々と青の人々。この間やったのは、片方が片方の方へいくという構図であった。例えば、青の人々は赤の炎を恐れて水をかけ、その誤解が争いを招くだろう。お互いがもしも出会ったときになにがおこるのか。できるなら、争いが起きない方にいきたいが、そこはお客さんにたくしたい。 争いがおこるなら、どうして起こるのか、どうしたらいいのか。そういったものを探る」 「わたしの場合は、恐れない、というとこを主題をしたい。多分新しいものにあった時に、おそれを抱くのが人類の普通。部屋の四隅に立って、みんなが背中を向けている。そういうイメージを持っている。」 「聖なる川、について台本では2回出てきます。お祈りの中には、自分の見方、それによって作られた相手へのイメージが入っている。彼らはお互いを知らない。そこで、どうやって彼らを結ぼうかと考えた時に、使われるのは舟なのだろうか、と考えている。しかし、この作品のなかには、一度も誰も舟を必要としていない。それについて考えていきたい。イメージとしては川があります、第一幕目では両側の人々の対比をはっきりと描きたい。二番目、怖がっている人達は楽しい人達が求めてくるコミュニケーションの働きを拒否する。しかし、楽しい人々はあくまで自分達の情報を伝えたい。そのために様々な方法をとってくる。最後、彼らは見た目はとても似ている、しかし川を挟んで完全に対比している。心の中がちがう、繋がりたいという気持ちと、拒絶したい気持ちはどちらも強い。最後まで舟はつくられない」 「あくまでも、老婆ではなく、気づけない人々をテーマとしました。わたしは、これを、このWSで学んだ方法を使って作りたいとおもっています。まず、スマートフォンを能面にして使いたいとおもいます。真ん中の老婆に、舞台上すれ違う人々はスローモーションで歩きながらも、誰も老婆にきがつかない。老婆は「心のなかのかわを聞く」をみせている。さいご、暗い舞台にスマホが光る。これは、スマホの面をつけていた人々は、その人々自身がスマホになってしまう。最後老婆はいなくなっている。あくまでも、いつの間にいなくなっている。」 「空間に馴染んでしまうともうそこから出たくなくなりますよね。もちろん出たからと言って、いい結果になるかはわからないし、もしかしたら失敗するかもしれない。それでもアナタは、ここから外に出る必要があるのかどうか。危ないものには手を出すなという教えもある、しかし、人は新しい危険なものに手を出す性質もある。あたまではだめだとわかっているけれど、もう我慢できない!という時。ふたつの感情が同居している。その相反する力が拮抗している。井の中の蛙は安心しながら、どこか外に焦がれている。それが第一幕。 第二幕は、光明が見えた。それだのに、カーテンを開け切ってしまうのが怖い。このとき、2人の役者が明かりの演技をする。川底にはある種の危険が潜んでいる。それは、私が探したいものを探した代価である。しかし、私は引っ張られながらどこか気持ちがいい。そこで私はロシアの口笛をふく。」 紙をもらい説明をしてもらったものから、そグループみんなで一つ選ぶ。これは、感覚的にきめるのではなくて、ちゃんと裏付けをもって決める。 選んだものを、してもらった説明をもとにして、パフォーマンスをつくる。このときに、選ばなかったものを決して無視しないように。このアイディアとか、考え方を取り入れてもいいけれど、基本的にはひとつ。この次のプレゼンテーションは、基本的には説明をせず、パフォーマンスでする。 午後 【劇場仕込み】 ・前のノエルの舞台の用具をしまう。 ・倉庫のものを出す ・平台を出しで組み立てる ・パネルの位置を確認して直し ・客席を川の対岸のように、二列向かい合わせにつくる。その間が舞台上になる。 客席の平台は、椅子の前にスペースがあけてあり、ここに役者が据わる、立つことが可能。 ・ピアノは真ん中におく。(座るところははみ出てもいい) 信さん 「北京に行ったときに、こういう舞台つくりについての細かいディテールが伝わっていないことに気が付いた。これから、小劇場や何か企画とか、小さなことを続けていくには、こういった細かいことを知ることがとても大切。一人がいろいろなことができるようになる事が小劇場的な現場では重要。」 ・課題であったパフォーマンスの発表は、あしたの朝1にやる。 それから、舟を使った演出にも、明日入っていく。

2018/9/9 十一日目の記録【波止場のワークショップ】

2018年9月9日午前中は飯名尚人さんによるテクノロジー(映像技術)とライブ(演劇)をつかったクリエーションWS、午後は清水寛二さんによる能のWSを行いました。午前10時スタジオ
【飯名尚人さんWSクラス】

モニターを用意したので、今回はカメラとモニターを使って、課題をつくってみる。
「カメラで、前回撮った写真を映してみると、これは映像作品ということななるのだろうか?」一枚の写真は、一枚の写真として見られる。しかし、映像にすると、そこから編集されたりズームされたり、写真から応用で、もっと情報を切り取るとこができる。
演技のスペースがカメラの映るところだけなので、舞台慣れした人には窮屈に感じるかもしれない。そのギャップで遊んでみる。

今回の課題「前回撮った写真を使って、カメラに映し、ライブの映像をつくってみる」
発表のルール:まず今の時間は、自分とカメラの関係を実験するということに使う。
全員発表する時間がないから、そのグループから一人だけ発表する。
3人のグループに分かれる。
やっていると、カメラにどう映ってモニターでどうなっているのか本人に見えないので、チームの人が教えてあげる。

一時間:クリエーションタイム
発表


テクノロジーとライブ(演劇)のクリエーション。お互いに色々な一面を発見をしていく。映像を使うことで気づけること。カメラで視野を編集すれば、空のないところに空の写真を映して、まるで気持ちのいい晴れた外が本当にあるようにみることができる。
・過去に撮った写真が現在写されているという、時間的感覚。
・空間的なギャップ。
この時間と空間のギャップを利用しながら、生身の人間がここでどうパフォーマンスしていくのか、ということ。
綺麗な映像を撮って、舞台上に流すことで「演劇と映像のコラボレーション」ということではなくて、どう時間や空間の意識を共有していくかがコラボレーションなのである。
いくつかのチームでは、カメラを三脚じゃなくてハンドでやっていたところもあったが、こうすることでも映像はかわる。演劇だとお客さんが移動しなきゃ見られない者が、カメラを移動させることでみることができる。視点の操作ができる。
これからも、日常の中でそういうアンテナを張って、「ここにはどんな情報があるのか」「そしてこれをどうライブの身体とコラボレーションできるのか」そういうことを意識してみるといい。



午後13:00~
【清水寛二さんWS】

今回のWSのクラスでは、「立ち尽くす」「ただよう」ということを、テーマとしてやっていく。「ただよう」など、訳すのに難しい言葉を使ってしまう時もあると思うけれど、100%理解することが一番ということでもないので、誤解からうまれるアクシデントもこのクラスの中ではおもしろいととらえて、寛大に。

・清水さんによる実際の場面

墨田川という曲の場面。亡霊が出てくる最後のシーン。
「昔ある京女が、息子をさらわれてその後を追いかけ、墨田川で船に乗り上った。向こう岸に、ひとつの墓が見え、その塚には柳の木が植えてあった。それは、子供の墓だった。そのお墓の前で祈っていると、子供の声が聞こえて亡霊が現れる。しかし、日が上がって朝になると、亡霊は消えて塚だけが残り、ただただ川が流れている。」

能には幽霊や亡霊が出てくるものがたくさんある。大体が、生前どんな思いを抱いていたのか、もしくはこの場でどんな風に死んだのかを語ることが多い。ある旅人がいて、その人に語るという形式をとることが多い。もしくは、自分を殺した人に対して、その時のことを再現してみせるものもある。
海の漁師が主人公の話。「藤戸」
「その漁師は、戦の時、馬で渡れる海のエリアを知っていた。それをある武将に教えた。しかし、戦に勝った時、武士はその手柄を他の人に横取りされないように、その漁師を海に沈めて殺してしまった。節がそこまで渡ったことによって手柄を得て、その場を領地としてもらった。そして、武士がその領地を訪れると、漁師の亡霊があらわれて、自分はお前に殺された、とその場面を再現してみせる」
杖はあの世からこの世へ現れる時のパワーをくれるアイテム。話しながら、自分の殺された場面の再現するときは刀に使っていたりもした。恐怖に襲われながら自分の身体に刀が入ってくるとき、また武士を殺そうとするとき。すると、武士は幽霊を拝む。そうすると、幽霊はもう武士に危害を加えることはできなくなる。最後は、あの世に帰る舟に乗って、杖をオールに使って帰る。だけど、この幽霊は本当にあの世にたどり着けるのか。もしかしたら、水の上を永遠に漂い続けるのではないか。亡霊は静かに退場していく。「たちつくす」と「ただよう」。杖をばたっと落とすが、あれは「よるべ」を失うということの暗示。もう、どこかへ行く力は失って、ただ「ただよう」。


・「声を出す」

なぜ、扇を持つか?能では、声を出す人は全員扇を持つ。違った、ステータスやキャラクターを表すときもあるし、全く持たない人物もいる時はある。先ほどの幽霊は、杖を持っていたが、扇も自分以外の力を受け取る役割を持つ。アンテナのようなもの。
☆一句、みんなで覚える!元々は中国の話で、とてもお酒が好きな妖精の話。猩々(しょうじょう)、という妖精。一人の孝行息子に、お酒の甕をくれる。ここにはお酒がはいっていて、汲んでも汲んでも尽きることがない。このお酒は、ただお酒という意味ではなくて、幸せや平和の象徴であり、この甕が届けられた家には幸せが尽きることがない、そして世界も幸せと平和が尽きることがない、という曲。
扇を持ち、先を軽く床につける。

「さむる(酔いから醒める)とおもえば いずみはそのまま つきせぬやどこそ めでたけれ」
(ぜひ覚えて帰って、どこかの宴会でつかってみてください)
今回のセッションの最後
映像をとってもいいけれど、重要なのは「ここにいる」ということです。

・「歩く」
円になって、まずは「立つ」をやってみる。一人一人、清水さんが形を直してくれる。そのまま、しばらく立ち尽くす。
それから、かかとに気を付けて、部屋の中を四角く歩いてみる。方向転換のときは、「かける」の足の運びで直角に曲がる。

かまえによって、全部上へ上へあげて、それをすべて足の裏におとす。足の裏と床の摩擦をもっと感じる。「やじろべえ」のように、腕が重りとなって、下へひっぱる。水の入ったバケツを持つように。頭、背骨、腰が繋がって、床に重さがかかる。

部屋を四角だけじゃなく、対角線の移動も可能にする。もし、向こうから来た人とぶつかったら、その場でお互い一瞬とまって、ゆっくりと相手の左側を通って避ける。避ける時は自分のタイミングでずれるのではなく、星と星とが距離を保つように、お互いの力を感じながら避ける。「月と太陽が引力を持つように距離を保って」
また、自分の前を歩いている人に対しても集中する。
歩きながら、スピードもかえていく。はやく、最高速度、それからまた落としてゆっくり、最後3分かけてゆっくりなところからまた半分におとして歩く。


(時々、惑星の間を通る彗星みたいに、全然違うところを通る人がいるのが面白かった。)
「実はこれは、ベケットの「クワッド」なんです」


・能面をみせて頂く4つの能面。

・墨田川の面
作者や時代はわからない。悼んでいるけれど、舞台上でみると綺麗にみえる。面は必ず、顔の横の決まったところだけを持つ。


・ひがき女の面
墨田川より少し年を取った面。若い時は綺麗で、たくさんの男を悩ませていそう。
おそらく700年前のもの。面の裏側は削って作った跡があり、とても生々しい。
能面も修理する。塗り直したり、全面的に改修したりもする。
この面は、例えば、原爆にあった人の場面などで使われたりもする。
能面の最初のころの創作性が残っている。


・翁面
ひげを蓄えて、歳をとったおじいさん。神様の化身で、人の姿になって出てきたときに着けられる。おそらく江戸前の300、400年前のもの。
年をとっているという事は、「老い」ではなく「たくさんの生命力を積んできた、命のエナジーの象徴として使われる。(もちろん、具体的に老いていることを表す為に被るときもある)
完全に優しい顔をしていないのは、神様の厳しさの部分も現れている。
髪の毛はたぶん馬のシッポ。修理できるちゃんとした人は日本に何人かしかいない。


・猫面

作られたのは最近で、とてもモダンな作品。このような動物のかわいらしいものは、能面の伝統の中にはなかった。狐面をつかうのは狂言。
能は、死者を演じるためにある。だから、生きている人じゃない者を演じるために、「かまえ」や、あのような型がある。やはり、踊り終わった時は、ただの体力の消耗ではにものがある。
虚構の話にどうやってリアリティーを持たせるか、という所にはやはり気を遣う。だから、例えば原爆の能をするときは、実際に長崎の現地へ行って、その場の空気を取り込むようにしている。

・いままでの能には、この猫のような面はある?
伝統の中ではないが、例えば「たかひね」というイエーツーの能をやるときは、「岩」という役で、新しいこういう面を使う時もある。ト書きには「岩の精」ではなく「岩」と書いてある。8~10人がギリシャ悲劇のコロスの役割で、岩だけど動く。(青年が泉を求めてやってきたが、いつまでたっても遭遇しない。探し回っているうちに、そのうち青年は岩になる。泉のまわりにはたくさんの岩があり、もしかしてこの岩たちも、泉を求めてきた青年なのかもしれないと思わせる。岩は時折呪文のようなものをしゃべり、輪唱する。すると、ぐーっと泉が沸いて、「たかの女」(泉を守る精霊)が現れて、舞を舞う)

・能面はどうやって引き継ぐのですか?
一言ではいえなくて、面には色々な経路があり、経路から流出してしまう物もある。例えば、江戸から明治になったとき、国や大名からサラリーを貰っていた能楽師は、体制が崩れたことによってそれが無くなり、面は沢山売りに出された。それでNYやボストンにはたくさんの能面がある。

・仮面のレプリカはあるのか?もし、この役にはこの面、と厳密に決まっていたら、その話をするときには、必ず持ち主を招かなければいけないのか?
面と役の組み合わせは固まっているわけではなく、ある程度臨機応変に選ぶ。たとえ、その組み合わせの選択で雰囲気が変わってしまっても、そこはあえて「たくす」。たくす、ということも、能の重要な演技であるかもしれない。

・翁の面には耳があったが、他の女面にはなかった。
女の面は、もっと抽象的な表情を出している。
中年男性の面には耳のないものもある。また、男でも鬼みたいなものには生えている。


・新作の能をつくるとき、面は新しくしますか?能楽師としては、古い方がやはりいいのですか?
作品によって、古典の面が使えるのであれば使うし、作る必要があれば作る。
原爆の話ではマリア様が出てくるが、これは古典の女神の面を使っている。どこにベールをかけている。能は昔からの面を、どんどん修理し新しいエッセンスが加わっているから、新しい面をつくるということが、構造的に難しい。

・舞台が現代の能について
現代の人を表すのはホントに難しい。まず、服がしっくりこない。やっぱり言葉、セリフも「せんじゅつ」や「リズム」に現代語はなかなかあわない。能の発声は、しゃべるというよりうたうものなので、現代感を出すのがなかなか難しい。だけれど、それはもしかしたら脳が固まっているからかもしれない。これからも、新しいものへ挑戦していきたい。



2018/9/8 十日目の記録 【波止場のワークショップ】

2018年9月8日のワークショップ記録です。午前中は飯名尚人さんによる写真とパフォーマンスのWS 、午後は松島誠さんによる身体についてのWSを行いました。---------- ー10:00、2Fスタジオで午前のワーク開始 【飯名尚人さんWS】 →前回の課題「自分のとっておきの写真を一枚、飯名さんに送る。次回プリントアウトするので、その前でするパフォーマンスのプランを考えてくる。」 ●発表 スタジオの部屋の中、好きなところに自分の写真を貼る。例えば壁やカーテンでもいいし、椅子に貼って効果的に移動させたりしてもいい。そして、その写真から作ってきたパフォーマンスを発表していく。 ・神棚の写真(ウェイウェイ)タンバリンを持参して音を鳴らしながら、写真の前で舞のような儀式をしてみせる。(最後は、弓矢を放つ動作をして何かを叫んで終わった。 )・自分の子供のころの写真(田村)を自分の身体に貼って、鏡の前でバレエを踊ってみせる。動くうちに身体の写真はどんどんくしゃくしゃになって、鏡の前にへたり込み、「疲れた」といって終わる。 ・電車で大量の野菜を運ぶおじさんの写真(シュウロウ)写真のおじさんが電車に乗ってきてから降りるまでを再現してみる。 ●感想 飯名「一枚の写真から、どの情報をピックアップするかという課題であったが、全員おもしろく、うまくまとめていた。」 ●飯名さんの作品を見る スタジオを写真展にして、そこで行われたパフォーマンス。貼られている写真は飯名さんの先輩のもの。 音楽/演劇/映画/ダンス、と全部で4構成になっている。 ・写真や映像を使う時に第拙なのは「どの部分をピックアップするのか」ということ。 それぞれ選んでもらった写真の、気になるところを抽出してパフォーマンスにするのもできるし、これをとった時の自分を形にする、ということもできる。 どことコネクトさせるか、ということが重要である。 ここでつながる事、共有することがコラボレーションであり、ただ単に一緒に上演するとかいうものではない。だから逆に、バラバラにしてお客さんに、どういった関係なのか探らせることで、情報のコラボによる作品になる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【松島誠さんWS】 ー13:30 2Fスタジオ 重要なのは「決める」ということ。たとえマニュピレーターに操作されていても、その操作を受けて動くのは自分であり、操作をされていながらも常に自分がチョイスしている。 リアリティーをもって「決める」ということ。コンテンツに沿った、もしくは空間に沿った必然性、それに沿って決める。 もちろんマニュピレートするときも決めるのは自分。止まって観察したほうがいいのか、動きながらなのか、どこで観察したらいいのか?どういうふうに選択するのか。 それはすべて、自分のなかの必然性で決める。 その必然性の実感が、身体が説得力を持つことにつながる ●ウォームアップ ・頭部と背骨だけのクリーチャーになる 脱力をしながらジャンプ、そのままジョギングのように部屋中を巡る。 センターを必ず通るように歩く。 ・3人1組になる、3人同士は敵。相手に触られたらダメ。避けながら、自分も相手に触ろうとする。そしてどんなときも、猫のように音をたてない足の裏であるように。 そして、戦っている時に、一瞬できる空きの時間に、なにか身体であそんでみる。 ・バナナロール・アップ ノーマル左右/ひらきバージョン左右/もう一度ノーマル(内野さん1回目に詳細) 身体のコアの存在を感じる。中心を感じながら、身体がのびる。身体がデトックスされるような感覚。 自分の体幹と会話してみる ●動く 本番前のウォームアップ。部屋の中に自分の部屋の空間をつくる。高さ幅空間全てを立体的に使って探ってみる。 例えば、身体を軽くつかう、とても低く使う、何かの条件に縛って動いてみる、思考が追いつかないくらい速く速くやってみる。あとは、昨日使った肘とひざを違う場所に置いてやってみる。一分くらい動きを続けるのをやってみる。 ・動いてみて感想 なかなか一人ではできない動き。だけど、これをウォーミングアップで一人で舞台上のあいたところでやっています。 これを長い時は50分ほどやる。 時代がかわってあまりスポコン的なことはやらなくなったけれど、「自分を超えてみる」ということは挑む価値がある。疲労のピークのあとにやってくる地点。ある程度ピークを越える、という経験を積んでおくと、本番ちゃんとピークまで行くことができる。いかに力まないか。最小限の力で動くか。いかに軽く、パワフルに、そんな相反する関係。エネルギーは脱力から生まれる。 ・気が付いたこと 「最後の方にいくと、一緒にやっている他の人の動きに反応できるようになった。昨日やったマニュピレーションの関係を使ってみた。他の人からエネルギーをもらうことができた」 「新しい身体を見つけることができた。ここまで動くことは初めてだった。」 「時間がとてもとても長く感じて、まだ終わらないかまだ終わらないかと思っていた。だけど、諦めて動こうと決めたら、実際にまだまだ動けたことに気が付いた。自分で、この動きがおもしろいからやってみよう!と決めていたけれど、いざ動いてみると、必死で意識的なことはなにも出来なくなった。」 →意識、無意識の問題はとても重要なことである。内発的でなおかつ、考えてやるのではなく、思わずはみ出してしまうということが、とても魅力的だったりする。 「この動きは覚えられるのですか?」→作品によって覚えられるけれど、逆に忘れようとするときもある。自分がおもしろいと思っていることとは違うことが面白かったりもするから、ビデオをとってあとで動きを見てみたりもする。 「踊っていて限界を超えてくると、どんどんと自分の中に入っていってしまう。」 →たぶん、踊っていてとてもいい瞬間というのは、身体の実感をウソじゃなく感じながら、100%客観的に観察できている時。いつもはないけれど、時々そういう瞬間が訪れる瞬間がくる」 ●ファンクション 最初の日に「観察する」ということと「操作する」(マニュピレーション)ということをやった。今回加える要素は「翻訳」(インタープリテーション) 例えば、音楽に対しての「翻訳」(インタープリテーション) ペットボトルを持ってみる。聞こえてくる水の音のことを、人によっては「小さな海です」というかもしれない。もしくは「これは水分の足りていない人間です」 そういうインタープリテーションを選択して、動きを作っていく。なにをインタープリターするのかということの選択と決定の連続で動きを作っていく。なにか物をインタープリテーションするのか、私をするのか、何か音楽に対してインタープリテーションをしていくのか。パフォーマンスとインタープリテーション。 ・素材(マテリアル)観察(オブザベーション)翻訳(インタープリター)操作(マニュピレーション)でやってみる。それぞれの立ち位置で参加するというスタンスで、誰が一番権限をもっているとかそういうことではない。出はけは自由で、板付きでもいつ入ってきてもいい。 (オーディエンスの感想) 一回目 「お互いの関係性がみえて、ひとつの作品のように思った。」 「人がいることがとても助けになった」 「人がたくさんいて、逆に何を観たらいいのかがわからなかった」 「インタープリターがなにをしているのかわからなかった」→この空間を「宇宙空間」だと自分は翻訳した。 →人がもっている機能に注目していた。翻訳者は何を翻訳しているのか、観察者は何を観察しているのか、それを受けて色々な解釈をしていた。 二回目 「音楽がかかるとひとつにまとまる。」→「仲介」という役割を担っている。音楽を流すことで、どこか違うところへ飛んで行ってしまうのではないかというところなどとても気を遣う。なのでダンスをつくるとき、内野さんはBGMをつくらない。ダンス1と音楽1だと1.5にしか上がらない。音楽をパフォーマーにあててあげる。音楽のチョイスも元から決めているのではなく、その時その時のパフォーマンスを見て繊細に選ぶ。そしてパフォーマーはそれを解釈する。ここの掛け合いが1.5以上のものを生み出す。予想しないリアクションが生まれてくることがある。BGMに使われてしまうのではなくて、音楽を「つかう」「加える」 三回目 「だれが操作しているのか、だれか観察しているのか、みんなが混ざり合ってパフォーマンスして、誰がなんなんだかどうでもいい感じになっていた。それがおもしろかった。」 「他の人の動きを模倣するということをやっていたのが面白かった」 「この空間のなかで、みんなが一緒になにかをやっている時がおもしろくて、それぞれがバラバラにやっているときはごちゃごちゃだなと思っていました。」 「僕自身の好みとして、関係性がみえると楽しかった。それぞれが個別にやっている時は、それをやる必然性が見えないので、どうして?となった」 ー最後、松島さんによるフィードバック 「ファンクション」は、あくまで道具でしかない。 「ファンクションがどうでもよく見えた」というのは、ある意味で正解である。ファンクションのそれぞれの役割自体に意味があるわけではない。重要なのは、選択をするということ。 役者は演技をしたがるし、ダンサーは踊りたがる。その時そこにつじつまを合わせるのに、どうやって身体に説得力をもたせていくのかというときの糸口になるもの。重要なことは、関係性があってその中に「する」「しない」の選択がうまれ、そこで「する」を選択した時にどう動くかという事であり、それがリアリティーである。 今回の参加者の解釈、選択のセンスのバリエーションがとてもひろくて、偏っていないのがとてもおもしろかった。そして、その様々な力がそれぞれ影響しあっているのはとても興味深かった。WSをやってみて、私だったらこうするな、とか色々と考えていることがあるとおもうけれど、そういうものをたくさん持ち帰ってくれたらなと思う。

2018/9/7 九日目の記録 波止場のWS

6日にオフを挟み、7日の波止場のWSの記録です。この日は、内野儀さんによる講義と松島誠さんによる身体ワークショップ、そして神奈川芸術劇場への舞台裏などの見学を行いました。
ー10時2Fスタジオ、午前のワーク開始

【内野儀さんWSクラス】
本日の午前は、内野さんによる座学のワーク。

ー講義内容
「実際に社会に影響を及ぼす力を持つパフォーマンスを計画する役割を演劇祭は持っている。」・神里雄大とチョイカファンの作品を「観光客の目線」でみる。そこから価値があるものはなんなのかを考えていく。ここでいう「観光客」というのは、アップデートされていく観光客概念についてであって、観光客は無責任で地元の事には関心がない者たちという事ではなく、観光客を能動的な主体性のあるものとして再構築していく。偶然性や誤配を通して、全体的な数学的モデルにした世界から外れる、そういうイレギュラーはパワーを観光客は持っている。 
・ナショナリズム・リベラリズム。いまは世界のどこにいても、文化的なつながりに割と触れられて、土着的な文化というものをナショナリズムとして簡単に受け取ることができる。誤配が発生することで、両極端な世界に振れてしまうのを防ぐが、難しいのは、誤配は意図的に流せるということである。
対話の可能性を自らふさいでしまっているから、日本のマジョリティには届かないであろう。つまり、良い作品、一貫したある種の思想が保たれた作品は、アジアでは機能しない。
民主主義はリベラリズムに立脚しているわけだが、いまは基本的な人間像というものが昨日していないから無意味なのである。
観光客や演劇の中で、この「誤配」というものがどういう機能をするか、考えて頂きたい。

・芸術家のカリスマ性などを求めることから我々は脱し、そうではないものを劇場などに求めるようになってきている。「感動」というのが演劇のメインストリートでは重要で、「感動」をしたことにお金を払う、という構造になってきている。しかし、環境も変わってきて、「観客がただ劇場に座って安全に消費をする」というのでは満足しなくなった。マーケットは「体系」を売る。何かを実際に経験する、という機会を購買している。
SNSが発達することによって、そこにある種のバーチャル世界ができて、観客、演劇人、評論家みんなが作り上げる演劇の世界が築かれている。何がいま「新しい」と思われているのか、なにがおきているのか。Twitterでだれだれをファローすればわかる、というそういう新しい世界がこの10年でできている。これは、とても閉じられた世界だ。
チェルフィッチュの岡田としきが出てきた2005年あたりからまた顕著になる。新しいものを作る人は、いろんなものをぶっ壊して構築しようとする人がおおいけれど、彼は全然別の所で違うものをつくった。
つまり、彼は「へらへらしている」。
岡田さんの舞台の新しいのは、あの舞台では「交換されているもの」が違って、おそらく「再現する」舞台ではない。ドラマ性とか、そういうものを否定している。それは単に自分にとって納得のいくようにつくったからで、
とにかく、彼の出現で分断され、それがいまも続いている。 これからみせる神里雄大の作品も、いわゆる「いい演技」を全く求めていなくて、平面的で、ある種空虚さがある。小学校の講堂のステージをつかって、大道具などのとてもチープに作ってある。
シンガポールのチョイカファイ。土方巽との、ある意味「無責任」はかかわり方は「観光客的」である。イタコで土方巽の霊を降ろして一緒に作品をつくる、という作品。また、土方巽にインタビューするという映像をうしろに流している。土方の動きをアバターにやらせるものもる。このとき、アバターの方がはやく動く、ということなんかも起こったりする。土方がすごく、神格化されてしまったことを茶化している。最後は「舞踏マントラ」を映して終わる。冗談であり真面目、とても汚いけれど神聖、この部分はこうとかではなく常に対の面が同居している。
これは土方を脱構築するとかそういうことではなく、観光客的にとらえて作品を作っている。

神里雄大とチョイカファイの違いとえば、おそらくチョイカファイの方は演劇祭の場でどういう観客か把握して意識しているが、神里さんはそういうものとは違うことを優先している。

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ー13:30 2Fスタジオで午後のワーク開始
【松島誠さんWSクラス】 

●ウォーミングアップ
・バナナロール

●動きのリサーチ
・ひじとひざ
動きを作るのに沢山方法はあるけれど、今回はひじとひざを動かして動いてみる。
そして、「肘が動いた後に、その先の手がのびる…」など、そういう動きの流れがつくられてくる。その流れをリサーチすると、どんどんとやったことのない動きなどがでてくる。自分の身体をリサーチしてみる。
・右ひじ、左ひじ
それにどんどんと、・左ひざ、など条件をたしてゆく。・左の膝
・両ひざだけ。※下半身のとき、どうしても下をむきがちになってしまうけれど見ない。
それで移動をしてみる。

・足の裏
「足のつきかた」このつき方によって、立ち方の感覚は大きく変わってくる。この立ち方の組み合わせで遊んでみる。
今度は、仙骨が動いていろんな動きをしてみる。部屋のはしから端まで歩いてみる。動かすのは仙骨だけれど、それに影響されて身体の他のパーツも動く。もっと楽に、こわばらない。
「部屋のなかで、なにかものを取りにいく」というのを、普通と違った身体をつかってやってみる。違うクリーチャーがものを取りに行くように。手以外のところで物をとる。
ムーブメントに、リアリティーを持たせることが重要。パフォーマンスをみせているのではなくて。

・二人一組にわかれて一人が身体をおしてあげる。無重力の空間にいるように、押された方はその力を受け取るままに身体を動かす。外からの力が加わらない限り、その力が身体の中で作用し続ける。宇宙に漂うよう。
※押す人はどっちの方向に、どれくらいのパワーで押してあげるかちゃんと教えてあげる。
※押された人は、それをごまかさないで受け取ってあげる。無理な要求でもなんとかやろうと試みる。
3人でやる。2人で押し、あるところで身体の上に何かオブジェを置いてあげる。

●素材3人、1人マニピュレーターでやってみる。
触って操作をしてあげるのは一番物理的な方法。操作をする人とされる人。この関係は人と人だけに限らない。例えば照明を消したりつけたりする。例えば視線や音を送ってやる。
何かを受け取るということ。相手のシグナルをどうとらえてマニピュレートされるのか。する側もいろんなマニピュレートがあるということをどんどん見つけてみる。



【インフォメーション】
5時に下に集合。バスに乗ってKAATへ。
階段に置いてある段ボールをこの中にいれる。みなさんに舟を作ってもらいます。一人一艘。
材料は段ボール。色は塗らない。ただ紙を貼ったりテープを貼ったりは可。
50㎝くらいから100㎝くらいの立体で、実んが乗るためにつくるではない。
作業場はロビーではなくスタジオで。10日に信さんのWSがあるので、それまでにつくる。


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【KAAT見学】

・館長の間野さんにお話しを伺う。日本で唯一の、技術畑の館長さんで信さんと作品をいくつか一緒につくっている。
本日は安田さんが案内をしてくださいました。


2018/9/5 七日目の記録【波止場のワークショップ】

ワークショップ七日目の記録です。午前中の飯名尚人さんのワークショップでは写真と情報について考え、とっておきの1枚の写真を撮りに町へ出ました。午後の創作では、前回から引き続きグループ創作の発表をしました。------------------------------9月5日
ー10時2Fスタジオ集合
【飯名尚人さんWS】
ー飯名さんから、参加者へ、まずいくつかの質問が投げかけられる。以下、質疑応答。

「撮った写真を、家に帰ってからどの位みるか?」
・SNSにあげるものを選ぶために見ている。
・ほとんど見ない。
・撮ったら見ない。
「見ない、という意見が多いが、では何のためにとるのか?」
・メモ代わり
・ドキュメンテーション
・おもしろいから!→「それは撮ることがおもしろいのか?」
・その物がおもしろいとき。
・景色などに感動したとき。・記念写真。・撮った物を誰かに共有したい時。
・カメラの視点は、普通の目線ではないからおもしろい。

●飯名さんの3分の動画をみる
ジョグジャカルタの道路の映像。車に乗りながら、交通の様子をとっている。
「この映像をパリだと思た人はいますか?何故そう思わないのか?」→街並み、道に飾ってある国旗から
次にジョグジャカルタでドラえもんとキティのネオンが光っている動画。
「これはなにか??」

1つ目の動画は8/16にとったもの。2つ目はその日の夜。
インドネシアの独立記念日が17日で盛り上がっている。
「独立記念日前夜祭に、ドラえもんとキティ(しかいない)がパレードする…。インドネシアはイスラム教徒の多い国で、モハンマドは猫が大好き。独立記念日のこのお祭りは、彼らの宗教と関係している。」(だけど、2つとも日本のキャラクターで不思議。だけど、例えばAKB48も中国に行く前にジャカルタに行ったし、なにか日本と文化が共通しているのかもしれない)
「1つ1つの写真の中に、実は膨大な情報が詰まっている。」


●今回の課題「自分の撮った写真の中からパフォーマンスをつくる」
大切なのは、まず「見る」という事が大切。
日本だと、時々片方の靴が落ちていたりする、これを面白がって撮る人はいるけれど、「この靴はどういう人が履いていたのだろうか、と考える人はいない。」
そういうものをちゃんと掬って込めてあげることが大切で、そういう丁寧な映像が舞台の上で流れたら、それは生身の舞台と対等の力を持つ。
・これから一時間、ひとりで街へ出て写真を撮ってくる。
ルールは「しゃべらない」「一緒に行かない、一人で行く」
ただ撮って逃げるという手もあるし、ずっと追いかけて撮るでもいい。
「良い写真をとるのには運動神経が必要!」

●言葉が通じる人を中心にグループにわかれて写真を見せ合う。

☆次回までの課題
・今晩までに、写真を一枚添付して飯名さんのアドレスに送る。
・その写真一枚に対して、例えばプロジェクターに写真を映してしゃべるでもいいし、踊ってもいいし、歌でも5秒だけでもなんでもいいので、パフォーマンスを何か考えてみる。MAX3分。完成度を求めるというよりは、こういう風にしてみようかなというアイディアを重視したい。
次回、飯名さんがその写真をプリントアウトしてくるので、今度はそれを部屋中に貼ってそれを動画に撮る作品をつくる。プリントアウトした写真でパフォーマンスをつくる。

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ー2Fスタジオにて、午後のワーク13時45分開始
【信さんWSクラス】

●10分間のウォームアップ。本日のアップ当番:李さん
1. はじめにそれぞれに番号を振っておいて、部屋の中をみんなでぐるぐると歩き回る。
2. ファシリテーターが番号を呼ぶと、呼ばれた番号の人は硬直して後ろにまっすぐ倒れる。それを、その他の人が走り寄って受け止め、(※音をたてずに)静かに床までおろしてあげる。この時倒れる人は怖がらずに、周りを信頼してあげる。

ーウォームアップ後、本日のワークに入っていく。
●発表
今回はオーディエンスをわけて、前回のように舞台上で観るチームと完全に外から観るサポーター席の人。
観終わったら、それぞれ感想を模造紙にかく。

1、エミー、田村、ガオレイ、ダンルオ、カイル 「砂漠の記号」
オーディエンスは部屋中をばらばらに歩き回る。さばくの中を、自分の跡をつけるように歩く。前回と同じ。(買い出しの為、記録係外出)

2、ランジェンフェ、ヴィヴィアン、シュウロウ、ウェンミン、宇井 「生まれなかった子供たち」
オーディエンスはアイマスクで目を隠し、仰向けに寝っ転がったら、赤ん坊のように丸くなる。前回と同じ。(〃)

3、ヤグニャ・ブレンドン、玉季、丹澤、ダレン 「舟にすむ人」
オーディエンスはこの空間のなかで、どこでも好きなところに座る。
座っている場所は自分の舟の一番うしろ。今度の人々は緊張しているわけではなく、水の音でも聞いているようにリラックスしている。自分の舟のなかに何かが入ってこない限り、観ない。怖がったり、気になったりする必要はない。もし入ってきたときは、できれば拒否せず、受け入れてあげる。日本には昔、家に鍵がかかっていなかった。だけどそれは日本だけではない、鍵のある生活の方が本当は不自然なのかもしれないのだ。

4、ウェイウェイ、ドリーン、ゾウジェンフェ、李「舟にすむ人」
オーディエンスは部屋の中で好きなところに仰向けに寝転がる。足は曲げる。ここは川の底です。自分のことを人間だと思うと苦しくなっちゃうから、もっとリラックスできる存在になってみる。
どこが舞台で、どこが舞台の端かは常に理解していなければいけない。この舞台はオーディエンスのありかたが舞台の形を決めている。そしてパフォーマンスをする方は、この空間でパフォーマンスすることを意識する。パフォーマーは人の集まりから舞台の空間を常に意識する。そのことを考えていれば、全部の空間を必ず使える。
(前回のパフォーマンスは面白かったけれど、おそらく3人くらいの観客は取り残されていた。つまり、パフォーマーとのすれ違いみたいなことを経験していない人がいた。しかし、その接触をみんなに見せてやろうとすると、また取り残しができてしまう。他の人は、パフォーマーが誰かに見せている演劇を、外から観ているという構図になってしまう。この問題に対する取り組みとしては、例えば1つは、完全に違う空間を意識する。もう1つは、自由になることである。


●フィードバック
今回オーディエンスの人数をわけて、サポーターの席の人をつくった。この席はいわゆる演出家の席で、ここに座るととても全体のことがよく見える。
パフォーマーにはパフォーマーの身体と空間がまかされている。なぜかというと、いくら偉い演出家でも、上演中は舞台にあがって止められない。そのまかされている側こそ、訓練して、どうやって「いるか」ということを考える。大事なのは、そのときに、「その身体は自分だ」ということ。自分をつかって何をやるのかという発想。よく訓練をするときに、自分を外側に置いて、「ああいう風になろう」とするがそれは間違え。自分が今、一番なにがやりたいか、それを知ることがとても大事。それをしっかりすること。
しかし、ここからがとても難しい。誰かさんも「私」あっちの人も「私」、それが自己主張をしたところで、自分のことは伝わらない。
この空間では「私はここにいる」ということを言わなくてもいい。
ほとんどの討論は、ほっておくと「私はここ」ということを言いあう場所になる。
だから、自分がやりたいことをとてもとてもはっきりと持っている人が、本当にやるべきことは、他の人が何をやりたいのかを聞く事。自分がどうしようかわからない人が発言をする。
他の人はその人を助ける。彼女が実現したい事をするにはどうしたらいいのか助ける。コンセプト、出発点をみんながクリアに持っていなければいけない。たとえここの時点でそれぞれ違っても。
それは具体的にどういうことなのかを、これからやっていこうと思う。


●前回の課題
グループになって、課題にあったテーマ、使う言葉などを出し合う。ラインが長すぎた場合は、ここからここまでとわかるように印をつけておく。口で説明してわかりにくい時はジェスチャーも交えて、三つの場面ができるか説明してみる。
今回はあんまり意見を言う場ではなくて、プレゼンテーションを聞いてあげる場。
言葉を使うか使わないか、紙に書かなくてもいいから仲間には伝える。
読みやすいように書いてきてください。
テーマなどは、みんな自分が一番使っている言語を使って書いてください。
言葉の意味が本当に伝わる意味か確認しなければならない。
テキストはいま三か国語ありますが、マンダリンができる人には少し違って読めるかもしれない。出す一行は、自分が一番得意な言語で書いたものにする。大きな意味の違いがあっても、それは構わない。45分間


●信さんインフォメーション
・明日のoffで何か舞台を観に行きたい人へ下北沢の舞台を案内。部屋に貼ったURLのページに飛ぶと説明があるので、フライヤーを見るなどして選んでください。・波止場のWSのホームページを更新しました。メールに、文章、写真を添付して信さんへ送る。またブログ機能もあるのでみなさん更新していってください。
・色々なWSのクラスがあるけれど、なるべく学んだことを生かしながらパフォーマンスを作っていってほしい。みんなそれぞれ、自分はこういう表現を持っているのだという事がわかってきたと思うので、これから他の人のプレゼンテーションを聞いていけたらいい。
・明日はオフで完璧にリフレッシュの時間にしたいので、今日の課題は今日中に終わらせる。模造紙はスタジオに置いておくので、わからなくなったらスタジオにきて見返す。

2018/9/4 六日目の記録【波止場のWS】

波止場のワークショップ六日目の記録です。午前中に、前回、座・高円寺でワークショップをしてくださった能楽師の鵜澤光による2回目のクラスを行いました。午後は松島誠さんによる身体ワークショップを行い、また新たな視点で身体を観察しました。----------------------------------------9月4日 AM10:00~、2Fスタジオで午前のワーク開始 【鵜澤光さんWS】 ・面には「よい角度」というものがある。例えば月を見上げる、下の池を覗く首をかしげるなど、顔を傾けるシーンでは、角度のリミットを超えると、能の面は変な顔のおかめさんになってしまう。 面の後ろにはそれぞれの顔に合うように調整するための詰め物「アテ」がある。(昔は、役者の方が面にあわせていた) ・面は、黒目の穴しかない。だから、後ろに何もないと、とても空虚に見える。 ・能楽師が面をつけるとき、「自分が面に入っていく」ようにつけてはいけない。自分の身体をちゃんとして、そこに面をつける動作をする。あくまで面に同化するものではなく、「私と面」にはある程度の距離感があるもの。装着しても、顔を完全に覆うではなく、顎をだしてあげる。 よく、面を被ると、「憑依する」「何かに成り代わる」というが、それは能の本質ではない。(ただし、これは能楽師全体の解釈というよりは、鵜沢さんの所属する団体の総意と言った方が正しい) ・面は、リハーサルはつけられない。こういう決まりはアジアでは結構あり、たとえばインドでも、お祭りで派手なメイクアップをするが、リハーサルなどでは一切やらない。 (ちなみに、リハーサルで衣装や面をつけずにやるのは、身体は軽く視界は開けているはずなのに、とてもとても辛い。) ・闇の中感覚だけで身体を確認すると、毎日自分の身体が違うことがわかる。身体は毎日違う。 ・仮面をつけるとき、普段は鏡の前でつける。どんな会場でも、必ず簡易的にだとしても鏡の間をつくる。 ・能の仮面はとても重要。触る部分、つけ方、外し方、きっちり決められているし、つける時は面に向かって挨拶もする。だけど、例えばバリ島のお祭りとは違って、あくまで仮面は「使う物」であり、道具。確かに神聖かもしれないが、ここに神様が宿っているとは私たちは考えない。あくまで、私たちの使う物である。 ・重心がどっちにいっているかが、とても大切。これをしっかりしておかないと、視界のない中でぐらぐらとしてしまう。 ・面をつけると、面をつけていることにものすごいエネルギーをつかう。だけど、つけないで稽古をする方が、よっぽど大変であったりするのだ。たしかに、視界が狭いとか衣装が重いとか負荷はあるけれど、メンタルから見るとつけていない方がとても辛い。 ●面をつけてみる。 つけてみて、何が違うのかを、感じてみる。 面をつけて歩いて、「さしこみ」をやってみる。それぞれの感想。 ・ランジェンフェ 身体をつくってからつけると、やはりなにか儀式的なものを感じる。 先生が教えてくれたこと、いざつけてみると忘れてしまう。 まっすぐ立てているか、歩けているか、自分の首がどうなっているのか、闇の中で自分の感覚で確認することはとても難しい。身体のある感覚が捨てられて、ある感覚はとても敏感になる。とても集中する。 能の面をはずした時、身体がとても緊張しているのを感じた。 ・ヤグニャ 最初のバージョン:自分の顔を乗せた時、まあまあうまく乗せられたと思った。だけど、自分の身体をつくってからつけると、呼吸がすっとなって、なにか儀式的な雰囲気を感じ、心がとても集中した。 目が一つになった感覚、目的地に行こうとしても全く見えない。どうしてあんなにゆっくりなのかが分かった気がした。 ・ウェイウェイ(中国の伝統舞踊経験者) 前にすごく集中できる。この前の練習するときには、ステップは2回、4回、と細かく決められていることは、やはり、目が見えないからきっちり動きを決める必要があるのかなと思いました。 面は、とても正装である気がした。やはり、仮面をつけた瞬間、日常からは離れた特別な、儀式的な身体になるのを感じました。 この面の鼻が、ウルトラマンのマスクとちがって、立体でとても前にあるし、面からみる視界はとても遠くを観ている感覚があったので、面を外したあと裸眼でいる感覚がとてもかわった。面をつけると距離感がつく。 こういう面をつけたあとに、自分なりに、役の感じ方も違うようになっていく。どうやって、面のあとの私と面の後の関係をつくっているの。中国の舞踊はメイクアップするけれど、裸眼でみんなと話している。やはり面をつけると、視界が絞られるから距離感がでて、遠くを見ている感覚になる。面をつけている私と面を外した私の感覚が全く違って、やはり面をつけると役になる気持ちがする。どうやって、そのギャップを埋めていますか?面と私の関係、距離感をつくっていますか? →役と自分の距離をつくるための面。もうひとつ作業を増やすことになるかもしれないが、別に私という人間を変える必要などない。役の根っことか、私の根っこ、その根っこを共有することが重要。 いまの質問は、現代演劇の立場から質問しましたが、確かに古典の立場から聞くと、先生の話はとても理解できる気がする。 ・ヴィヴィアン ・小林玉季 ・ガオレイ ・宇井 (時間の関係で感想のフィードバックはなし) ●信さんからインフォメーション ・能のクラスについて 今回、能のクラスが二つあるのには、ひとつは鵜沢さんのようなキャラクターが能の世界にいるということを知ってほしかったからである。能には、女性がやることへの抵抗がない。そして鵜澤さんは、能への理解をもちろんしっかりと持ちながら、古いものへの挑戦を続けている。その姿勢を感じて、能というものへのイメージをもっとオープンなものとして持って貰いたかった。 能のクラスに限らず、このWSはとても短い期間であり、開かれるクラスは「できるため」の訓練ではない。 「できないことを知る」ということが非常に大切。 その為には、考えて、自分流に工夫をするということが重要。それをしないと、できないことを通じて本質的なものを掴めない。 関心がなければ、それはすぐにやめたほうがいい。やめたほうがいいというのは、パフォーマンスを止めた方がいいという事である。自分のできないパフォーマンスに対する興味や意欲のない人は、表現者に向いていない。これは他人が決めることではなくて、あくまで自分が表現者に向いているか否かを知るとてもシンプルで1番の方法。 特別に好きなものだけを突き詰めるのは、あくまで、その分野のアマチュアなのである。 ―――――――――――――――――――― ー午後のワーク開始 【松島誠さんWSクラス】 このクラスでは、実践とディスカッションを交えて「試しながら話す、話ながら試す」 talk&tryで進行していく。 ●まずは「知覚の発見」 身体のコアを感じる+アップ(柔軟) 「バナナロール」 1,うつぶせに寝転がって仰向けにお腹(コア)を使って直る。身体はバナナの形でなるべく身体の先(腕と足)をひっぱりあう。 2.アジのひらきみたく身体を半分にたたむイメージをもって、仰向けのところからうつ伏せにひっくり返る動きを、転がってやらないようにコアを使って直る。1.の時よりも、もっともっと身体を引っ張り合うイメージを持つ。 単純な動きだけれど、コアを使うエクササイズなので、終わった後は身体はそれなりに温まる。脱力もできるので、はじまる前エンジンをかられる身体を準備しておくのにとてもいい。 終わった後は肩甲骨から手が動きやすくなっているので、身体を伸ばす、長くするのがやりやすくなる。 ●身体の表面 1.手をこすってみる。こすっている方の手と、こすられている方の手の感覚の違いを観察してみる。その手で身体のまわりの空気を掻いてみる。移動しながら、人とすれ違ってみる。人の間を抜けながら、顔や首やおなかやふくらはぎなど、自分の身体を触ってみる。 2.自分の身体の表面をなぞってみながら、その延長線上で手のなぞりを空間にあそばせてあげる。また身体に戻って、どんどん流れの動きを変えてゆく。 3.部屋のセンターを必ず通るのを忘れず、部屋中をゆっくりと歩く。歩きながら、自分の身体の表面を感じてみる。 ●対面 相手と向かいあう。 1. まず、自分は頭と背骨しかない生き物である。背骨だけをつかって、向かい合っている人と対話してみる。相手の背骨に集中して、それに応える。 2. コピー。どちらかの動きをどちらかが真似をする。 3. 今度は、自分は足だけで会話をしてみる。→下半身だけの会話でも、動かすには身体全体を意外にも使っている。 ●FUNKTIONEN (ドイツ語) ファンクション、つまり「機能」。パフォーマーとしての機能、これは数多くある。 その中から、主に5つのファンクションを選ぶと ①「素材」 ②「観察」 ③「翻訳」 ④「仲介」 ⑤「操作」 今日はその中から、②「観察」をやってみる。 「観察というものにはなにがある?」 ・アリをみている・喫茶店で店内を眺める・空気を観察する。・自分を触って身体を観察する。 観察するというものには、時として五感以上のものが使われる。見えないものを観ようとする。 大事なことは「何をどのように観察するのか」をクリアにすること。見えないものを、身体化する。「観察していることをパフォーマーとしてみせる」。 まず「何をどのようにするか」を明確にして、動いてみる。 ・一つの要素を観察するでも、次々と観察する対象がかわるでも、何か大きなものでもいい。パフォーマーは、どこからか入ってきてもいいし、板付きでもいい。 設定はフィクションでもノンフィクションでもかまわない。 けれど、リアリティーを常に持っていなければならない。 そして、空間のどこにいるかということも非常に重要で、身体の感覚は自己完結しない。 動くことも大切だけれど、例えば動かないということがとても強い力を持つこともある。 ダンスでも、ただ何もしない、というのは最も難しい動きのひとつ。けれど、例えばそこで「なにかを観察」すれば、何かの糸口がみつかる。たとえじっとしていても、その身体には説得力がり、とてもアクティブなものになる。 ー動いた後、お互いにフィードバックを行う。 <試してみて、何を観察しましたか?> 「風を観察した。出られない部屋の中というフィクションを自分の中で意識しつつ」 「この部屋の中の、音の場所を観察した」 「床のテクスチャー」 「お客さんが見ているときの身体」 「カップがくるくるを回ることを想像して、観察した」 <コメント> 1つ目グループ 「観察しているというよりは、見ているようだと思った」実際にみているのはわかるけれども、身体に実感がなく説得力がないようにみえた。本当のことがリアルであるとは限らないのでは。 2つ目 「全員が一つの集合体のように見えた。みんながオブジェ作品のようだと思えた。」 「ストーリーをみている側が勝手に考えられた。」これはパフォーマーのもっているリアリティーが、観ている側にストーリーを想起させたのかもしれない。 「空間の関係性が見えやすかった、そこにいる人の立ち位置も関係しているのかもしれないけれど、みんなの中につながりが見えた」 3つ目 「ずっと薬指を触っていたから、なにかのストーリーを想像した」 「エア指輪を眺めているとき、手のひらの中にあったときは想像で、まるであるかのように見えたのに、エアの指輪を掲げたとき、パントマイムのようにみえてしまった」 「イメージをとても喚起させられる時間であった」 4つ目 「エミーがなにかを観察しているときに、より目になっているのが見えて、何か近くのものを観ているのか、すごく集中しているかのように見えた」 「動きは小さかったけれど、身体に密度があった」 ☆次回:「翻訳」と「操作」をします。 ファンクションは目的ではない。これを使って、何かをする、ということ。また、バナナローラーは、これをやると相当身体がかわるからためしてみてください。 2018/9/4